ズッパ・ディ・ペッシェ

第9回  ZUPPA DI PESCE

厨房でズッパ・ディ・ペッシェを持つ副料理長の露詰まみ。

解説/料理長 井上裕基・副料理長 露詰まみ

写真・文/ライター織田城司
Commentary by Yuuki Inoue & Mami Tsuyuzume
Photo & Text by George Oda

メニューについて

ズッパ・ディ・ペッシェに使うカサゴ。

今回は、海の幸のスープ煮込みを紹介します。

イタリア語でズッパ・ディ・ペッシェは、魚のスープの意味です。そのスープの範囲は広く、フランスのブイヤベースの起源といわれる鍋物のような料理もあります。

鍋物は日本に鍋奉行がいるように、イタリアでも地域や家庭によってさまざまな調理法があります。当店はその中でも、トスカーナ地方の港町、リヴォルノの郷土料理「カッチュッコ Cacciucco」の調理法を基本にしています。

カサゴの下ごしらえ。

カッチュッコの起源は16世紀のルネッサンス期にさかのぼります。当時、トスカーナ地方を統治していたメディチ家は、ヴェネチアのように港を整備して、水運による商業の繁栄を目論み、統治下のリヴォルノの開発に着手します。

ところが、労働者が思うように確保できません。そこで、メディチ家は、リヴォルノの開拓に従事した者は、前科者の特赦や信仰の自由など、好遇で迎えることを地中海沿岸の地域に告知しました。

こうしてリヴォルノに移住して来た「ならず者」の食料の調達は追いつかず、食堂のメニューはいつも同じ一品。あり合わせの魚介の煮込みでした。それでも、その煮込みは、なるず者からカッチュッコ(トルコ語で雑魚の意味)の名で親しまれ、人気となりました。やがて郷土料理となり、人種も料理もごった煮だった時代の面影を今に伝えています。

メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵・展示するフィレンツェのウフィツィ美術館。

カッチュッコは魚介をトマトベースのスープで煮込み、ガーリックトーストとともにいただくのが特徴です。本来は素朴な大衆料理ですが、当店では素材のこだわりと手間暇かけた調理法で、より深い味を追求することで、鍋奉行としています。

ということで、ズッパ・ディ・ペッシェはグランドメニューのセコンディ・ピアッティ、魚料理の項目にある「本日の鮮魚を使ってお好みの調理法で」と記載しているメニューで扱います。今回のご紹介で「食べてみたい」と思われた方は、ぜひ「ズッパ・ディ・ペッシェ」とご注文ください。忘れてしまった方は、魚のごった煮でも結構です。

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の展望台から街を見渡す。

食材

魚介

カサゴ

ズッパ・ディ・ペッシェは、ごった煮による旨味のミックスが醍醐味なので、魚介の種類を豊富に使います。常に新鮮なことも大切で、漁場は玄界灘のものを使い、種類は旬によって異なります。

夏から晩秋にかけては、産卵のため美味しさが増すカサゴが旬になります。丸々とした胴体にぎっしり詰まった身は、しっかりした歯ごたえがあり、甘みや旨味が豊富で、ゴツい外観とは結びつかない美味しさがあります。1尾まるごと使ったほうが骨のまわりからも旨味が出ますので、できれば大人数で豪快に尾頭付きでご注文いただくことをおすすめします。

左から帆立貝、ムール貝、アサリ、ハマグリ、ヤリイカ、手長海老。

調理法

今回の調理は、前半を料理長の井上裕基(左)後半を副料理長の露詰まみ(右)が担当します。

1.白い魚のだし汁を作る

魚のアラを頭の真ん中から包丁で二つに割り、中から目玉とエラを取り除く。

イタリアのズッパは単品というよりパンのおかずが主な役割で、浸して食べることもポピュラーです。このような背景を念頭に、リヴォルノ風の少し濁った濃いめのスープをイメージして、3種のだし汁をミックスしながら魚介を煮込みます。

そのひとつは「白い魚のだし汁」と呼んでいる旨味のだし。もうひとつは「赤い魚のだし汁」と呼んでいるコクのだし。あとは、基本のトマトソースです。

頭の内側の血を流水で洗い流す。

アラの背骨の下に付いた血をブラシで洗い流す。

アラの背骨を断ち切ってだしが出やすくする。

アラ全体に流水を30分ほどかけて残りの血抜きをする。

加熱した鍋底にオリーブオイルをひく。

鍋に魚のアラを入れる。

水分をとばすことを意識して魚のアラを炒める。

焦げが香ばしさの素になるので、アラを鍋底にこびり付かせるように炒める。

氷を入れる。

だし汁に使う水は低温から温めたほうが魚の旨味がしっかり抽出できるので氷を使う。

鍋の加熱で氷が溶け、魚のアラから旨味が出てきた状態。

さらに旨味を抽出するため二度目の氷を投入。この氷の二度使いによる魚のだしの取り方は、ローマにあるイタリア共和国大統領官邸、クイリナーレ宮殿のエグゼクティブシェフ、ファブリッツォ・ボカ氏を招聘してイベントを開催した時に、ボカ氏から伝授されたもの。

ラ・ビスボッチャの店内で顧客に挨拶をするファブリッツォ・ボカ氏。

ニンジン、セロリ、タマネギを刻む。

ニンジン、セロリ、タマネギを加える。

約1時間煮込む。

合間を見て何度かアクを取る。

こし器で汁だけ抽出して、白い魚のだし汁の完成。

2.赤い魚のだし汁を作る

赤い魚のだし汁の素。手前からヤリイカの肝、イタリアMONTEBELLO社のトマトペースト、イタリアSCALIA社のアンチョヴィ。

鍋を加熱してオリーブオイルにニンニクの香りをつける。ニンニクはスペイン産。

鍋にイカの肝とアンチョヴィを入れて炒める。

トマトペーストを加えて炒める。

イカの肝とアンチョヴィを先に炒め、臭みをとばしてからトマトペースを入れるとトマトの風味が損なわれない。

白い魚のだし汁を加えて煮込む。

こし器で液体のみを抽出する。

冷やして味を落ち着かせ、赤い魚のだし汁の完成。

3.基本のトマトソースを作る

イタリア「ラ・ドリア」ブランドの業務用ホールトマト缶。

トマトは南米で生まれ、16世紀の大航海時代にスペインの艦隊がヨーロッパに持ち帰り、南イタリアで真っ赤な美味しいものが育つようになりました。19世紀になるとトマトを使ったソースは、イタリア料理を象徴する人気となり、20世紀に瓶詰めや缶詰が登場して現在に至ります。

トマトソースは、基本のトマトソースに具材や味のアレンジを加えて、パスタやピザ、肉、魚などの料理に使います。基本のトマトソースの作り方に定説はなく、地域やレストラン、家庭によって様々。味を比べるのも楽しいものです。

当店の基本のトマトソースは、イタリア「ラ・ドリア」ブランドのホールトマトと玉ネギを煮込んで作ります。いろんなメーカーのホールトマト缶を試しましたが、「ラ・ドリア」は缶ごとの味のバラツキが少ないことから使用しています。

玉ネギをみじん切りにする。日本製の玉ネギを使用。

鍋底で玉ネギのみじん切りをエキストラバージン・オリーブオイルで炒める。

ホールトマトを鍋に入れる。

煮込んで、基本のトマトソースの完成。

4.魚介の下ごしらえ

ヤリイカ

胴から足と内臓を引き抜く。

胴から軟骨を抜き取る。

皮をむく。

内臓の肝は赤い魚のだし汁の素として使用。

胴を15㎜ほどの幅で輪切りにする。

カサゴ

お腹の真ん中からハサミを入れる。

エラと内臓を除いて血を洗い流す。

ヒレをハサミて切って取り除く。

ウロコを取る。

ここから後半の調理は、副料理長の露詰まみが担当します。

細かいウロコの残りを取り除く。

火の通りを良くするため、側面に一筋切り込みを入れる。

手長海老

全身を半分に割るため、首から頭の中心に切り込みを入れる。

頭を割ったら向きを180度を変え、胴と尾の中心に切り込みを入れ、半分に割る。

半分に割った手長海老から背ワタと砂袋を取り除く。

ムール貝

貝殻の表面の付着物を除去しながらきれいに洗う。

ひも状に見える足糸(そくし)を抜き取る。

ムール貝は足糸を抜き取ると呼吸ができなくなって死に、鮮度が損なわれます。このため、足糸を抜き取るのは調理の直前にします。

ハマグリ

殻の外側をきれいに洗い流す。

帆立貝

貝柱を殻の片面からはがす。

殻を開いて、貝柱をはがした方の殻を取り外す。

貝殻の中と貝柱をきれいに洗う。

5.魚介に下味をつける

カサゴに軽く塩をふる。

お腹の中も塩をふる。

約10分ほどかけて塩をなじませる。

塩で浮いてきた水分は、臭みのもとになるので、キッチンペーパーで吸収する。

手長海老、ヤリイカ、帆立貝に塩をふる。

塩をなじませる。

6.魚介を炒める

フライパンを加熱する。

魚介をフライパンで炒め、香ばしさを加え、そのままフライパンに汁を加えて煮込むのがイタリアのズッパに多くみられる調理法です。カサゴは火を通すのに時間がかかるので、他の魚介に火を通す時間を調整しながら調理を進めます。

加熱したフライパンにオリーブオイルをひく。

フライパンにオリーブオイルをなじませる。

カサゴの表面に焼き色を付ける。盛り付けで上になる面から先に焼く。

フライパンの空いたスペースで手長海老を炒める。

カサゴの反対側に焼き色を付ける。手長海老を一旦フライパンから下げ、ヤリイカを炒める。

ヤリイカを一旦フライパンから下げる。カサゴの中が生っぽいとスープに臭みが残るので、時々エラから熱い油を入れ、中も加熱する。

帆立貝、ムール貝、ハマグリ、アサリを同時に入れる。

白ワインを入れて香りと味をつける。

フライパンを揺さぶり、白ワインを魚介になじませ、アルコール分をとばす。

7.スープで煮込む

白い魚のだしを加える。

赤い魚のだしを加える。

基本のトマトソースを加える。

スープで魚介を煮込む。

貝類は開いたら一旦フライパンから下げる。

貝類を下げたらフライパンに蓋をして、カサゴをじっくり煮込む。

カサゴの火の通り具合を確認するため金串を刺す。

カサゴに刺した金串を下唇の下部にあて、火の通り具合を確認する。

頃合いを見て、カサゴ以外の魚介を再びフライパンに入れて煮込む。

8.仕上げる

ズッパ・ディ・ペッシェに添えるガーリックトーストを用意する。イタリア語でスリッパを意味するチャバッタという平たい自家製パンをスライスする。

フライパンで表面に焦げ目をつける。

オーブンで加熱する。

焼きあがったトーストをニンニクでこすり、風味をつける。

フライパンから魚介を取り出し、保温性の高い陶器の器に盛り付ける。

フライパンに残したスープを加熱しながら、イタリアの魚醤コラトゥーラを垂らし、風味とコク、塩味を加える。

エキストラヴァージン・オリーブオイルを垂らし、香りと滑らかさを加える。

スープを器に注ぐ。

イタリアンパセリのみじん切りをふりかける。

ガーリックトーストを添える。

器を大皿に乗せて完成。

お召し上がり

ズッパ・ディ・ペッシェ(4〜6人前)

ズッパ・ディ・ペッシェはテーブルでお見せした後、人数分取り分けてお出しします。

出来上がったズッパ・ディ・ペッシェは混沌とした盛り付けで度肝を抜かれます。イタリアンパセリのグリーンと、フィレンツェの屋根瓦のテラコッタに見るような赤茶色のスープが魚介をカモフラージュして、どこから手をつけてよいのか迷うなか、トーストのガーリックがほのかに香り、いかにもイタリアらしさを感じるごった煮です。

スープはだし汁から含めると、長時間さまざまな食材が煮込まれているので、何かの味が際立つことなく混ざり合い、まろやかな口あたりの中に、魚介の香ばしい風味と旨味、コクを感じます。ややクリーミーな汁気は具材やパンとしっかりなじみ、一緒に口に含むとちょうどよい濃さで、具材の甘味が際立ちます。

ズッパ・ディ・ペッシェ(取り分けた1人前の目安)

食べ方はかしこまらず、大衆食堂と同じく手を使って海老や貝の殻をさばき、パンにスープを浸し、お喋りしながら食べると、より美味しくいただけます。すると、気分はルネッサンス、メディチ家の野望で集まったならず者です。

お飲物

白ワイン ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ

銘柄/ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ
ワイナリー/ラ・ラストラ社
生産地/イタリア中部トスカーナ州シエナ
ぶどう種/ヴェルナッチャ100%
生産年/2016年

ヴァカンスでトスカーナ地方を訪れる人々が土地のワインを気に入って、本国に帰ってからもレストランで思い出しながら飲む。そんなワインです。

甘い果実を想わせる爽やかな香り、サラリとして滑らかな口あたりの辛口、ほろ苦い後味は、ズッパ・ディ・ペッシェの濃厚な味わいとは好対照で、食がすすみます。

ラ・ビスボッチャ店内

いつもご利用頂き、誠にありがとうございます。

今宵も、ラ・ビスボッチャのディナーで、楽しいひとときをお過ごしください。

ラ・ビスボッチャ外観