第23回 SPAGHETTI ALLE VONGOLE VERACI
解説/料理長 井上裕基
写真・文・エッセイ/ライター織田城司
Commentary by Yuuki Inoue
Photo・Text・Essay by George Oda
メニューについて
古代ロマンを味わう
イタリア全土で親しまれているアサリのスパゲッティー。数あるパスタ料理の中でも人気メニューです。
当店でも、1993年(平成5年)の開店当時から続けている定番メニューです。
アサリは日本人にゆかりが深く、味の共感が背景にあります。
明治維新から間もない1877年(明治10年)、アメリカから横浜港に着いたモース博士は、開通したばかりの東海道線に乗って横浜から新橋に向かいました。
モース博士はその途中、大森付近の車窓から見た斜面に貝殻の集積を発見すると、古代人の生活の跡を感じました。
モース博士は政府の許可を得て現地を発掘調査。後に大森貝塚と名付けられた場所で、今から約5000年前の縄文人の生活を研究しました。
そして、縄文人は海や山で狩猟をしながら、アサリも食用としていたことが解明されました。
それから今日まで、アサリのレシピは洋食の普及とともに広がり、イタリアからスパゲッティーも伝わりました。
各国の味を楽しみながら、縄文人を想う古代ロマンが魅力です。
調理
引き算の美味
本場イタリアのシェフに教わったアサリのスパゲッティーの調理法のポイントは「引き算」でした。
食材や調味料を数多く加えて豪華さを誇るのではなく、なるべく要素を少なくして、食材そのものの味と香りを賞味しながら、サラリと食べていただくための料理法です。
当店もその考えに共感して、アサリ、パスタ、オリーブオイルの3つの要素に絞って、スパゲッティーを作ります。
いわば、ごまかしのきかない直球勝負。食材の味と香りがストレートに出るため、鮮度にこだわります。
◆海水で鮮度を保つアサリ
アサリは生きているものを殻付きで扱います。味と香りが強く、食べる直前に火を通します。毎日仕入れ、一晩かけて砂抜きしています。
アサリの保存は海水を使います。塩水や真水を使うとアサリが早く弱り、鮮度が落ちるからです。
アサリの砂抜きは広いバットに海水をたっぷり入れ、アサリが重ならないように並べます。
場所を取りますが、アサリを重ねると、自由に動けない下のアサリが早く弱り、鮮度が落ちるからです。
◆低温乾燥で小麦の味をしっかり感じるスパゲッティー
スパゲッティーは、アサリの味とバランスを取るため、小麦の味がしっかり感じるものを選んで、イタリアから取り寄せています。
イタリアの中でも、パスタの特産地として500年の歴史がある南イタリア・カンパーニャ州・グラニャーノ村で、1912年に創業した「ディ・マルティーノ」社のパスタを使います。
伝統的な製法を継承して、イタリア産小麦を100%使い、低温で時間をかけて乾燥させたスパゲッティーは、小麦の味を強く感じます。表面はブロンズと呼ばれるザラザラした仕上げで、ソースとよく絡みます。直径は1.8㎜と太めで、迫力ある噛みごたえです。
◆一番搾りのオリーブオイル
アサリの味を引き立てるオリーブオイルは、エキストラヴァージンの中でも、最も香りが高い「ノヴェッロ」というタイプを使います。
一般的なエキストラヴァージン・オリーブオイルは、オリーブの実を破砕、圧搾、濾過して、瓶詰めしたものです。
「ノヴェッロ」に使うオリーブは、秋の収穫期の一番最初に収穫したもので、フレッシュな香りの高さを楽しむために、濾過のプロセスを省いて瓶詰めされています。このため、オイルの色は濃厚な野菜ジュースのように半透明で、力強い緑色をしています。
当店では、オリーブオイルの特産地、南イタリア・プーリア州のディサンティ社製「ノヴェッロ」を使います。
お召し上がり
◆極まるアサリの旨味
最初はオリーブオイルやイタリアンパセリの青々しい香りを感じ、次にアサリの濃厚な香りを感じます。
アサリの身を噛みしめると、まろやかな塩味と旨味がしみ出します。
それをおかずにスパゲッティーを口に含むと、太麺の強いコシとモッチリした噛みごたえで増した小麦の香ばしさを豪快に味わいます。
後からイタリアンパセリのほのかな苦味と、オリーブオイルのピリッとした辛味を感じます。
アサリのダシがよく出たソースは、パンにたっぷり染み込ませた味も格別です。
オリーブや小麦など、山の幸によって極められたアサリの旨味を2度楽しみます。
お飲物
◆アサリの旨味に合う、爽やかな辛口白ワイン
銘柄/グレコ・ベネヴェンターノ・カンティーナ・デル・タブルノ
ワイナリー/カンティーナ・デル・タブルノ
生産地/イタリア南部カンパーニャ州
ぶどう種/グレコ100%
生産年/2014年
魚貝料理の中でも、アサリのスパゲッティーのように野菜をほとんど使わない料理は、フレッシュな香りのワインを合わせたいものです。
この辛口白ワインは、洋ナシのような爽やかな果実味と滑らかな酸味があっておすすめです。バランスの取れたニュートラルな味は、前菜からアサリのスパゲッティーに続く流れによく合います。
エッセイ:食のこぼれ話『父が作ったスパゲッティー』
連日報道される殺人事件。その背景にある、殺人犯の家庭環境も問われています。
日本映画『三度目の殺人』(2017年・平成29年作)は、そんな背景を題材にした物語です。
多摩川の河川敷で惨殺体が見つかり、役所広司演じる容疑者が逮捕されました。福山雅治演じる弁護士は減刑の弁護活動を行うけれど、広瀬すず演じる被害者の娘の証言から、物語は意外な方向に展開します。
この映画は単なるサスペンスを超え、親子のコミュニケーションの崩壊や、裁判の在り方など、現代社会が抱える問題を浮き彫りにして、2017年の日本アカデミー賞作品賞に輝きました。
なかでも印象的なのは役所広司です。容疑者の真実と嘘を、静かに演じ分ける姿は鬼気迫るものがありました。
もうひとりの名優、橋爪功が演じる弁護士の父も存在感がありました。
父は息子から裁判資料の貸出を頼まれると長崎から上京して、息子の法律事務所に届けました。送れば済む資料を、わざわざ持参したのは、久しぶりに息子と話がしたかったからです。その場面を、映画ノベライズ本から以下に引用します。
「もういいから、用がすんだら早く帰ってくださいよ」
露骨に父親を邪険にする重盛(息子)に川島(部下)が驚いている。だが父親はまったく意に介さない。
「いや、今回、2、3日、こっちで泊まろうと思ってさ」
「え?」とこれまた重盛は迷惑そうな顔をした。
いくぶん声をひそめて父親は尋ねた。
「おまえさ、広尾のビスボッチャってイタリアン、知らないか?」
イタリア政府が公認しているラ・ビスボッチャは高級イタリアンだった。
「知らないよ」
重盛はうんざりした調子で答えた。引退してから父親は、今までできなかったことや興味のなかったものに“チャレンジ”し始めた。そのひとつがレストランの食べ歩きだった。母親が亡くなってからはひとりでどこへも出かけていく。
(映画ノベライズ本『三度目の殺人』是枝裕和・佐野晶著より)
父が息子にラ・ビスボッチャを問う場面に「いくぶん声をひそめて」と書いてあるのは、父が息子の職場の緊張感を、美味しそうな料理の話題で乱すことに配慮したためでした。
結局、父はラ・ビスボッチャに行くことをあきらめ、息子の家に泊まって、一緒に夕食を食べることにしました。
息子は妻と離婚調停中で独り暮らし。家に帰っても裁判の資料作りに追われ、部屋は散らかり放題でした。
見かねた父は、キッチンに入って夕食を作りました。メニューはスパゲッティーでした。
メールやライン、コンビニフードの便利さの一方で、親子のコミュニケーションが薄れる現代。
子供と面と向かって話し、子供の悩みを察知して、自らの行動で愛情を示すことの大切さを、スパゲッティーを作る父の姿を通して、見事に描きました。
いつもご利用いただき、誠にありがとうございます。
今宵も、ラ・ビスボッチャのディナーで、楽しいひとときをお過ごしください。