『そうだビスボッチャ、行こう』
ME AND MY BISBOCCIA
Episode 6 : Hidetoshi Nagahama
◆永浜英利さんプロフィール
1968年東京都生まれ。物流不動産会社役員
1.イタリアへの思い
職人をリスペクトする国
はじめてイタリア文化にふれたのは、子どものころのスーパーカーブームでした。フェラーリやランボルギーニがカッコよく、夢中になりました。
イタリアのものづくりは手工業が主流です。職人の手仕事が生きています。自動車も大量生産型にないデザインがあり、子どもの目にも魅力的に見えたのだと思います。
私の父は彫金師です。子どものころから職人の暮らしや、職人がつくるものが身近にありました。職人がつくるものは手づくりで、ひとつひとつ微妙にちがいます。すべてが一点ものです。いわば、不ぞろいなのですが、その味が好きです。
大人になってから、職人に対する敬意が感じられる服や家具を集めているうちに、自然とイタリアのものに囲まれていきました。
あたたかい国民性
イタリア旅行の楽しみは「帰ってきた」感じがすることです。イタリア人は私を外国人扱いしないで、まるで昔からの親友のように受け入れてくれます。私はどう見ても日本人で、イタリア人ではないにも関わらず、イタリア語でペラペラと話しかけてきます。他の国ではないことです。
そんな国民性のおかげで、イタリア旅行中は買物や食事など、どこへ行っても空気に馴染めてリラックスできます。
2. イタリア料理の魅力
おふくろの味
はじめてイタリア料理を食べたのは中学生のときでした。両親に連れられ、赤坂のイタリアンレストラン『グラナータ』に行きました。そこで食べたイタリア料理がおいしくて感動すると、母が家でブルスケッタを再現してくれました。いまでも姉と「子どものころ、お母さんがつくってくれたブルスケッタおいしかったね」と話すことがあります。
私の母は福岡出身です。福岡はおいしい食材がたくさん集まる街です。そんな背景から、母はおいしい食材をシンプルに調理する料理が得意でした。その調理法はイタリア料理に通じるものがありました。だから、イタリア料理を食べると、おふくろの味を思い出すのです。
3.私とビスボッチャ
イタリアらしい空間
ビスボッチャは20年前から利用していました。しばらくご無沙汰していましたが、4年ほど前から、新店をめぐるより馴染みの店でリラックスしたい、という気持ちが強くなり、再びビスボッチャに通うようになりました。
改めて通うと、料理やホールスタッフが良いのはもちろんですが、お店の空間の凄さを再認識しました。工法から建築資材を含めてリアルにイタリアのレストランの空間を再現しています。堅苦しい雰囲気はなく、満席になったときの喧騒感はまさにイタリアです。
大きなグリルはいつ見ても雄大な気分になります。トイレは丁寧なタイル細工が施され、イタリアの洗面所を忠実に再現しています。トイレはホールとちがい、日本人の姿が見えなくなるので、バーチャル・イタリア感が増し、密かな楽しみです。大箱の店はあるけれど、これほど大仕掛けの劇場型店舗はいつの間にかなくなってしまい、貴重な空間だと思います。
リフレッシュしたいときに
ビスボッチャに行くときは、記念日とかではなく、私が「そうだビスボッチャ、行こう」といって妻を誘います。そういうときは、たいてい私が疲れているときです。だからリフレッシュするためにビスボッチャに行きます。もちろん、おいしい料理で栄養を補給するとか、腹を満たす実質的な面もありますが、気持ちの切り替えをするメンタルな目的が主です。
仕事や雑事を忘れ、「リフレッシュしたい」と感じることは誰でもあると思います。そのために旅行に行く人やお寺に行く人、映画を観る人などがいます。
私の場合は、ビスボッチャに行くことがリフレッシュの手段です。ビスボッチャの空間に浸ることで非日常感を楽しみ、自分をリセットします。食事をすること以上の付加価値を感じています。だから、お店がいつまでも続いて欲しいと思います。
奥さま談
主人は「そうだビスボッチャ、行こう」といって私を誘うと、テンションが上がっていくのがわかります。
私も大好きなお店だからワクワクして、一緒にテンションが上がります。
料理長・井上裕基のコメント
食材のおいしさをお褒めいただき、ありがとうございます。常に旬の食材を用意してお待ちしています。新しいメニューに挑戦しながら、イタリア的空間をお楽しみください。
取材日:2019年6月8日
監修/料理長・井上裕基 写真・文/ライター織田城司