私とビスボッチャ:漫画家せきやてつじさん

Episode 13 : Tetsuji Sekiya

一夜の夢

ビスボッチャに来店されるお客さまのインタビューで綴る連載コラム。今回は、イタリア料理漫画の金字塔で、ビスボッチャでも取材された『バンビ〜ノ!』を描いた漫画家せきやてつじさんの原画展「厨房は戦場だ!」が開かれた記念に、ご登場いただきました。

第1部は、せきやてつじさんが1969年に生まれてから2005年に『バンビ〜ノ!』の連載がはじまるまでの回想録。

第2部は、『バンビ〜ノ!』の連載がはじまった直後からイタリアン・レストランに新入社員として就職した現料理長・井上裕基との対談で、当時のエピソードやイタリアンへの思いを語っていただきました。

ビスボッチャの厨房で料理人と撮影するせきやてつじさん(中央)料理長・井上裕基(手前左)

◆漫画家 せきやてつじ さんプロフィール

1969年、福岡県北九州市小倉生まれ。幼ない頃より漫画や映画などに興味を持つ。

福岡大学中退。上京し、東京映像芸術専門学院を卒業。東京でアルバイトをしながら漫画を描く。

1994年、東京のイラスト制作会社に就職。在籍中から漫画コンテストに応募し、漫画家になるため独立。

プロの漫画家のアシスタントを務めながら技術を磨く。2000年、『ジャンゴ!』で漫画家デビュー。

 

第1部 せきやてつじ回想録 生まれてから『バンビ〜ノ!』連載まで

ビスボッチャの店内で語るせきやてつじさん

娯楽の街に生まれて

私が漫画家になったのは、姉の影響だと思います。

1969年、福岡県北九州市の小倉で、中学校教師の父と、専業主婦の母との間に、長男として生まれ、姉がいました。 

当時の小倉は、競馬、競輪、競艇、パチンコ等、賭博の娯楽が盛んな街でした。

父はインテリの文系九州男ですが、母は九州の女性らしいおおらかにして豪快な鉄火肌の女性です。

高校は八幡という鉄工の街に近い男子高校に行き、同級生は気の荒い、ヤンチャな奴が多かった。そんな青春時代は、後に私が手がけるギャンブル漫画の原風景になりました。

そのころ、姉は、手づくりの漫画同人誌をつくるほどの漫画オタクでした。私はそんな姉の姿を見ながら、姉が読んだ漫画を読み、刺激を受け、自ら漫画を描き、将来は漫画家になりたいと思っていました。

1980年代、中学・高校生の思春期になると「漫画家になるためには漫画ばかり読んでいてはダメだ。漫画を極めるには、脚本や絵づくり、キャラクター設定も重要で、それには映画や小説からも学ぶべし」と考え、漫画とともに、映画や小説を浴びるように享受していました。

最新作の漫画や映画をリアルタイムでチェックしつつ、古本屋やレンタルビデオ屋に通い、後追いで古典を掘り起こすことを同時にしていました。

このため、同世代の人は誰もリアクションしないけれど、先輩から共感されるような古典から、多くのことを学びました。

影響を受けた作品

そのころ読んだ、漫画で印象に残っているのは、『サイボーグ009』、『あしたのジョー』、『火の鳥』、『ゲゲゲの鬼太郎』等です。弓月光先生の『エリート狂走曲』、望月三起也先生の『ワイルド7』は忘れがたく、特に『ワイルド7』主人公の飛葉大陸はいまでも私のヒーローです。

映画は製作者の目線で、撮影が凝った映画を偏愛し、一般的な映画ファンが好む王道とはちがいました。

なかでも、『ゴッドファーザー』は、映画的にも、撮影的にも素晴らしかった。それを手がけたコッポラ監督の作品を研究し、なかでも『カンバセーション』は撮影と演出が冴に冴えた映画でした。

コッポラ監督がリスペクトされていた黒澤明監督の『醜聞 (スキャンダル)』はダイナミックな演出に感じ入りました。

黒澤明監督の『用心棒』は私にとってのフェイバリット映画で、幾度となく見直し、一時期はほとんど全てのセリフを暗記してました。撮影はもちろん、三船敏郎さんのキャラクターの愛嬌、色気、気迫が素晴らしく、脚本の構成も完璧です。

このほか、1970年代のアメリカのアクション映画も大好きです。『フレンチコネクション』や『ゲッタウエイ』、『ロンゲストヤード』などです。

高校を卒業すると、地元の福岡大学に入学し、映画を研究するサークルに入部しました。そこで、サークル仲間と8ミリ撮影機で自主制作の映画をつくるうちに、映画づくりに夢中になりました。

漫画の制作は、作画の労力が必要だけれど、映画の制作は、8ミリ撮影機のファインダーをのぞいて、スタートボタンを押すだけで、楽だと感じていました。

大学中退と上京

やがて、将来は映画制作の仕事に就きたくなり、大学3年生のとき、一般大学の在籍は、私には無意味だと思い、中退を両親に直訴しました。

すると、家族は理解してくれました。ただし、やるからには、東京の専門学校へ通うことが条件でした。

上京して映画の専門学校に入学。しかし、入学すると自分と同じ様な野心ある映像青年に囲まれ、何かここじゃあ俺って普通だなと(笑)

在学中は撮影で高評価を得ることができましたが、学校に2年間通って卒業後は、アルバイトをしながら漫画を描く生活を始めました。

3年ほどそんな生活を続けましたが、描き続けてる漫画は絵の技術が追いつかず、行き詰まりを感じ、社会保障のないその日暮らしにも嫌気が差してきて、1994年にCMの絵コンテを描く仕事見つけ、就職しました。

映画の学校で学んでいるとき、絵コンテを描くのは周囲の高評価を得て自信があり、入社を希望したのですが、入社してみるとその会社は、美術大学を卒業した、腕に自信のある絵描きが集まるカラーイラストレーションの会社でした。

それまでモノクロ漫画を描くのはともかく、カラーイラストを描いたことのない私にとって、大変な試練の日々が始まりました。

折り合いの悪い上司に叱責されながら、初めて絵に向き合いました。毎晩帰宅後に美術書を読み漁りました。会社では、前日に読んだ美術書の技法を実際に仕事の中で検証しました。

あらゆる実験、目を引く絵を描くコツ、上手い絵と思わせる技術を学び続けました。お金をいただきながら勉強をさせていただいた会社には、今でも感謝し続けています。

このときの体験が漫画『バンビ〜ノ!』の骨組みになりました。

絵を学んだ事で、行き詰まってた漫画も、少しづつ、少しづつ完成に近付いて行きました。入社して1年半後、5年がかりで書き上げた60ページの漫画を、講談社の青年漫画雑誌「モーニング」の「ちば賞」に応募。

会社に講談社の編集者の方から「君の漫画、良い所まで行きそうだよ」と連絡をいただいた時の喜びは忘れられません。 漫画は3位の準入選となりました。

その後も会社に勤めながら漫画を描いていましたが、3年目に社長から「昇進だぞ」と言われ、このままではこの会社から離れられなくなると思い、その日のうちに退職を伝えました。

ビスボッチャ店内の額装に見るせきやてつじさんのサイン

漫画家デビュー

退社後、プロ漫画家のアシスタントをしながらデビューを目指そうと思い、秋田書店の「少年チャンピオン」でデビューされたばかりの小沢としお先生の『フジケン』という漫画制作の現場に入りました。

小沢先生とは今でも仲良くさせていただいていて、去年先生の『ナンバMG5』がドラマ化された折には、私からお寿司をご馳走させていただきました。

先生の職場は本当に楽しい事ばかりで、良く遊びに連れて行って頂き、もしかすると私の人生で最も輝かしい季節だったかもしれません。

夜は夢の中でも漫画を描くくらい懸命に自分の漫画に取り組み、再び「モーニング」の「ちば賞」に応募。今度は2位の入選を取りました。

そんな折、「モーニング」で『キリコ』というたいへん先鋭的な漫画を描いていらした木葉功一先生がスタッフを募集されてる事を知り、小沢先生の現場が休みの日にヘルプで参加。

初日から木葉先生に気に入っていただき、アシスタントというより、脚本をいくつか持っているから、君が作画したらどうかと提案され、受けさせていただきました。それがデビュー作の『ジャンゴ!』です。2000年、31歳の頃でした。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『ジャンゴ!』(原作:木葉功一)

講談社の青年漫画雑誌「モーニング」2000年44号〜2001年13号 単行本2巻

ジャンゴと呼ばれるアメリカ帰りの青年犯罪プランナーが計画する強奪事件を描いたクライム漫画。

 

しかし、『ジャンゴ!』が終わった後は鳴かず飛ばずで、無職になりました。そんな折、声をかけていただいたのが、竹書房という、麻雀雑誌を発行していた編集部でした。

すごくいい人たちで、私は麻雀をしたことはなかったけれど、青山広美さん原作の『ラスベガスキング』の作画を依頼され、受けさせていただきました。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『ラスベガスキング』(原作:青山広美)

竹書房の漫画雑誌「近代麻雀」2001年から不定期発行 単行本1巻

ラスベガスのカジノを舞台に、日本人青年ディーラーの熱いカジノバトルを描くギャンブル漫画。

 

その次は、竹書房さんと相談して、脚本も私が手がけた、完全オリジナルの漫画『おうどうもん』を描かせていただきました。

この『おうどうもん』が私の実質デビュー作で、それまでの鬱屈を晴らす様に全力で取り組みました。 掲載誌の「近代麻雀ゴールド」の表紙は12連続で描かせて頂き、雑誌の看板作品となりました。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『おうどうもん』

竹書房の漫画雑誌「近代麻雀ゴールド」2002年8月号〜2004年8月号 単行本2巻

作者の故郷、小倉を舞台に青年雀士の戦いを描く麻雀漫画。

 

『おうどうもん』は、私の生まれた北九州の方言でキャラクターがベラベラしゃべる、たいへんクセの強い漫画ですが、今だに印象に残ってる方が多いらしく、先日もSNSに原画を投稿すると「大好きでした」というコメントをたくさん頂きました。

一般的にはあまり知られることのなかった漫画でしたが、漫画業界では注目され、ほとんど全ての出版社からオファーを頂戴しました。

仕事は慎重に受けていたのですが、過密スケジュールをアシスタントもいない業態で描き続けた結果、ストレスで内臓系の病気を患い、入院。5時間の手術をして生死をさまよいました。

復帰は、お見舞いに来てくださった出版社の順に、少しずつ受けていこうと思い、最初に来てくださった「少年チャンピオン」で、読切を描かせていただきました。

次に来てくださったのは、小学館の青年漫画雑誌「ビックコミック スピリッツ」でした。こちらも、読切で受けさせてもらう予定でしたが、構想を練るうちに、インスピレーションが広がり、連載で描かせていただくことになりました。それが『バンビ〜ノ!』です。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『バンビ〜ノ!』

小学館の背年漫画雑誌「ビックコミック スピリッツ」2005年2号〜2009年13号 単行本15巻

博多から上京した青年イタリアン料理人が六本木の老舗イタリアン「トラットリア・バッカナーレ」で、「バンビーノ(若造)」と呼ばれながら成長する姿を描いた料理漫画。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『バンビ〜ノ!SECOND』

小学館の青年漫画雑誌「ビックコミック スピリッツ」2009年19号〜2013年13号 単行本13巻

「トラットリア・バッカナーレ」で修行した青年料理人が横浜元町に開店する2号店「リストランテ・レガーレ」をめぐる葛藤を描いた料理漫画。

 

ビスボッチャが所蔵し社員が愛読する『バンビ〜ノ!』全巻

 

第2部 対談 せきやてつじ 井上裕基 『リアル・バンビーノ』

『バンビ〜ノ!』誕生秘話

ビスボッチャの店内で対談する料理長・井上裕基(左)とせきやてつじさん

料理長・井上裕基、以下井上 そもそも『バンビ〜ノ!』というイタリアン・レストランを舞台にした漫画を描こうと思った動機は?

せきやてつじさん、以下せきや 2002年に日本で公開されたアメリカ映画『ディナーラッシュ』を観て、ニューヨークの一軒のレストランを取り巻く人間模様の物語で、ストーリーやキャラクターの設定が面白く、レストランを舞台にすると、映画的に豊かな作品がつくれるものだと感心し、印象に残りました。

次に、国分寺のオープンキッチンの洋食屋さんで食事をしているとき、厨房の料理人が走りまわっているのを見て「あ!これは漫画になりそうだ」と思いました。

そのころ、テレビで放送されていたアメリカの医療ドラマ『ER緊急救命室』を観ていました。救命士が患者の命を救うために、秒単位でドタバタするストーリーです。同じように、お客さまが洪水のように押し寄せるレストランで、お客さまを1秒でも待たせないために、命を賭ける人たちがいたら面白いな、と思い、構想が膨らみました。

それで、この物語はイタリアンしかないと直感で思いました。フレンチや中華はイメージが合わない。

ER緊急救命室』では、新人研修の話がよく出てきます。同じように、研修生を主人公にしたら話がまとまると思いました。

研修生は厨房では、赤ちゃんみたいな青年で、赤ちゃんのイタリア語を調べたら「バンビーノ」で、タイトルはこれだ!と決めました。

イタリアン・レストランの取材で、最初に行ったのは千葉県野田市にある「コメ・スタ」でした。野田市民で知らない人はいない、大箱のイタリアンです。野田市のホテルに3泊しながら取材しました。

シェフが私の麻雀漫画の愛読者で、すぐに意気投合し、仲良くさせていただき、いろいろ教えていただきました。カーポカメリエーレ(給仕長)は、閉店後にねばるお客さまを帰すために、オペラを歌い出すような人で、調理人を含めて面白い人が多く、キャラクターづくりの参考になりました。

このレストランのムードが『バンビ〜ノ!』作中の店舗、「トラットリア・バッカナーレ」のモデルになりました。

井上 2000年代前半は、1990年代にイタリアのレストランで修行した人たちが帰ってきた頃で、面白い人が多かった。

当時のイタリアのレストランは、観光ビザの日本人でも、住み込み、食事つき、無給でも働かせてくれて、それでも貪欲に勉強しようとした、エネルギーのある日本人が多かった。やがて、イタリア人の雇用が奪われる懸念から法が変わり、外国人は簡単に修行できなくなりました。

『バンビ〜ノ!』は2005年2月から連載がはじりました。構想は、いつごろから練りはじめたのですか?

せきや 2003年の中頃からだと思います。「コメ・スタ」の次は千駄ヶ谷の「マンジャペッシェ」へ取材に行き、ここの厨房のレイアウトが「トラットリア・バッカナーレ」の厨房のモデルとなりました。「マンジャペッシェ」では、お料理教室にも参加させていただき、アクセスが良いこともあって、最も多く取材させていただきました。

それと、講談社から出ている落合務さんの料理本『イタリア食堂「ラ・ベットラ」のシークレットレシピ』を購入し、片端からつくりました。

そんなある日、『バンビ〜ノ!』の連載が内定していた「ビックコミック スピリッツ」の編集長から「いつから連載をスタートするのですか?美味しい料理をご馳走するので、構想を聞かせてほしい」といわれました。

そこで、私として格が高く、ひとりでは行けないと思っていた恵比寿のイタリアン「イル・ボッカローネ」を指名し、編集長と担当者の3人で訪ねました。

会食しながら『バンビ〜ノ!』の構想を語ると、編集長のテンションが上がり、「すでにできている!すぐ描いてください!」といわれ、先に新連載の予告日まで決められ、スタートしました。

井上さんはそのころ、もう働いていましたか?

ビスボッチャの店内で対談するせきやてつじさん

新人時代

井上 私は2005年、大阪の阿倍野にある辻調理師専門学校のイタリア料理研究所に通っていました。

卒業後、恵比寿のイタリアン「イル・ボッカローネ」に就職したのが2006年3月です。

それまでは、阿倍野の商店街でひとり暮らしをして、よく通ったコンビニから上京するための荷物を送りました。

「このコンビニも、もう来ないだろう」と思い、感慨に浸り、店内を見渡すと、『バンビ〜ノ!』が表紙の「ビックコミック スピリッツ」が目につき「イタリアンの漫画か?」と思って立ち読みすると、六本木最前線でイタリアンに挑戦、とか描いてあり、「俺もこれから、これからこんな感じになるのか」と思って読んでいました。

「イル・ボッカローネ」に就職すると、せきやさんが取材に来ていて、あの漫画の作者だと思い、漫画の世界にいることを実感しました。

せきや 『バンビ〜ノ!』の連載がはじまってから、「イル・ボッカローネ」とすごく懇意にしていただき、取材の一環で、サービスマンとして働かせていただくこともありました。とはいうものの、パン切り場で、ずっと立って観察しているだけでしたけれど。

井上 2007年に『バンビ〜ノ!』は日本テレビで実写ドラマ化され、全11話放送されました。連載がはじまって間もない頃です。早くからテレビ化の話があったのですか?

せきや 連載がはじまると、早くからテレビ化の話はありました。テレビ局がドラマにお金をかけていた時代を感じるクオリティで、いまでは信じられない豪華キャストでした。主人公の伴省吾の役を嵐の松本潤さんが演じ、主題歌も嵐の『We can make it!』が使われました。

料理長の娘でレストランの支配人を演じたのは、内田紀さんで、スタジオでお会いしたときテンションが上がって、心のなかで「うわ!内田有紀だ!写真集持ってたよ!」と叫んでしまいました。

井上 このドラマでは、漫画のなかの印象的なセリフが、要所で採用されています。たとえば「仕事ができる人が、できない人を養っている」「目の前のことに、一所懸命になれない奴に、夢を語る資格はない」「料理はつくる人間が出る」「何かを成し遂げるということは、何かを犠牲にすること」などです。

このような、仕事観はレストランの取材で見出したのですか?

ビスボッチャの店内で対談する料理長・井上裕基

人が成長するプロセス

せきや 私は、イラストの制作会社に通い、サラリーマンだった時代があります。『バンビ〜ノ!』のなかで起こる組織人事のネタは、サラリーマン時代の出来事がモデルになっています。

田舎から自信満々で上京しても、東京で通用しなくて挫折したり、最初についた先輩と合わなかったり、絵が下手なのに高圧的な同僚がいたり。それは味覚の世界でも同じだと思いました。

井上 たしかに、味オンチの人から美味しくない料理を出されても、基準がないから「美味しくない」という主観で否定できず、「口に合わない」としか言いようがないのが実情です。

そのようなことを、私はサービスマンだった頃、料理人になった頃、中堅になった頃、料理長になった頃、節目ごとに『バンビ〜ノ!』を読み直し、勉強させていただきました。

だんだん成長すると、若い頃気がつかなかった調理長や、副料理長のセリフに感動して泣くようになりました。

せきや ありがとうございます。こちらも泣けてきます。

井上 劇中にたくさん出てくるイタリアンのメニューも、よく考えていると感心します。

せきや 懇意にしているシェフ何人かに教えてもらい、自分でつくり、試食しました。

グルメ漫画は表面的になりがちだけれど、それでは臨場感が出なくてダメだと思っています。読んだ人が、本当に食べたい気になる料理は、私が食べた料理でないとダメだという信念があります。

井上さんがビスボッチャに移ったのは、いつですか?

井上 2009年からビスボッチャの厨房で勤務しました。当時のシェフと、せきやさんが打ち合わせをしているのを、下の方から見ていました。

せきや あのとき厨房にいたのですね!気がつかず、失礼しました。『バンビ〜ノ!』の続編『バンビ〜ノ! SECOND』は、2号店の「リストランテ・レガーレ」を横浜の元町に出店する物語で、店舗の内装と厨房のモデルにビスボッチャを使いました。

しかし、はじめは流行らない店として描いて申し訳ありません。でも、漫画なら、流行らない店が、働いている人たちの努力で、流行っていくプロセスがワクワクして面白いのです。

ビスボッチャの厨房

レストランの楽しみ

井上 ちょうど『バンビ〜ノ!SECOND』の連載が終わった頃の2013年からリーマン・ショックの影響で、ビスボッチャも低迷しました。

当店は、立地的に大使館や外資系の証券会社が多く、リーマン・ショック以前に70%いた外国人のお客さまが来なくなり、120席の店内が30席しか埋まらなくなってしまいました。

2014年から料理長になりましたが、その頃が売上の底で苦労しました。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『火線上のハテルマ』

小学館の青年漫画雑誌「ビックコミック スピリッツ」2013年36・37合併号〜2016年9号 単行本8巻

日本の警察を辞職し、アメリカのロサンゼルスに流れてきた青年が、現地のボディーガードのチームに入り成長していくクライム漫画。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『僕たちの新世界』

秋田書店の青年漫画誌「別冊ヤングチャンピオン」2017年5月号〜2018年10月号 単行本3巻

未来に起こる事件を予知し、未然に防ぐ謎の女子大生を主人公にしたタイムトラベル・サスペンス漫画。

 

◆せきやてつじ 作品データ 『寿エンパイア』

小学館が運営するウエブコミック配信サイト「マンガワン」で2019年9月18日から連載中 単行本既刊10巻

青年寿司職人が技を極める姿を描いた料理漫画。

 

せきや それで、どのようにして、業績を回復させたのですか?

井上 ウエブやSNSなど、デジタルコンテンツを使った宣伝を強化し、自分たちがつくる料理を、自分たちで発信するようにしました。

すると、デジタルコンテンツをよく使う若い女性を中心に、新規のお客さまが増えるようになりました。

いまは、それに加え、イベントやキャンペーンなどの催しも強化しています。

せきや その話を聞いても泣けてきますね。井上さんは、イタリアンに新入社員として入社し、成長し、料理長になった、まさに「リアル・バンビーノ」ですね。漫画が現実になったようで感動します。

連載していた時代は、料理人はオーナーシェフになることが、ひとつの目標としてあったと思うのですが、いまはどうですか?

井上  いまは、新規出店する物件の家賃や建築費、人件費などが、2000年前半に比べたら、およそ倍くらいになっています。独立のリスクが昔に比べると高いと思います。

せきや なるほど、昔は大箱の店が多かったけれど、いまはカウンターだけの店が増えている。

井上 カウンターフレンチという言葉があり、もともとグランドサロンのイメージがあったフレンチを、料理人がカウンターだけの店をワンオペでこなす店が増えています。経費が最小限で、なんとか利益が残せる。

せきや 経営的にはわかるし、美味しいけれど、個人的には、レストランのロマンがないといえばない、と感じています。

もうひとつ、最近レストランに行って感じることは、若い男性が、女性のエスコートの仕方を、まるでわかっていないということです。

そもそも、きちんとしたレストランに行こうと思う若い男性が減っているのでは。教える先輩男性も少なく、空洞化している気がします。

私はレストランが好きで、レストランのなかで、みんなが快楽を享受している絵が好きです。その絵を乱さないように、振る舞うことを意識しています。

井上 今日はどうもありがとうございました。これからの創作活動にご期待いたします。ぜひ、またレストランのお食事をお楽しみください。

対談後、せきやてつじさんは、店舗スタッフ一同が集う、開店前の夕礼に列席。スピーチを依頼すると、次のように語りました。

「レストランに来るお客さまは、一生の思い出をつくろうという思いで来るお客さまも、たくさんいると思います。このため、ひとりひとりのお客さまが、忘れられない一夜になるように、どうか、みなさんの力で、夢を見させてあげてください」

(監修:料理長・井上裕基  写真・文 ライター 織田城司)

 

せきやてつじ原画展「厨房は戦場だ!」のお知らせ

せきやてつじ原画展「厨房は戦場だ!」の会場で原画の解説をするせきやてつじさん

◆日時

2024年9月20日(金)〜10月14日(日・祝)

休館日:9月24日・9月30日・10月7日

営業時間:13:15〜18:30

◆会場

マンガナイトBOOKS

東京都豊島区南長崎3-4-10 昭和レトロ館1階

せきやてつじ原画展「厨房は戦場だ!」の会場「昭和レトロ館」外観

ビスボッチャの店内で夕礼後スタッフと記念撮影するせきやてつじさん(中央)