映画で装うレストラン「ワインの情景」

COLUMN   CINEMA DINNER FASHON #4

コラム『映画で装うレストラン』4回

「ワインの情景」

映画に登場する食事のシーンと着こなしを解説する連載コラムです。第4回は、ワインの描き方に見る、監督のまなざしに思いをめぐらせます。イラストは綿谷寛さんの描き下ろしです。

イラスト/イラストレイター 綿谷寛
写真・コラム/ライター 織田城司
監修/料理長 井上裕基
Illustration by Hiroshi Watatani
Photo・Column by George Oda 
Produce by Yuuki Inoue 

 

ハウス・オブ・グッチ

(2021年・アメリカ)
監督:リドリー・スコット
出演:レディ・ガガ、アル・パチーノほか

 

「私をグッチ夫人と呼びなさい」

法廷でレディ・ガガ演じる被告人は裁判長に訂正を求めた。しかし、このときすでに被告人は、グッチ家と姻戚関係を解消していた。セリフはその背景の複雑な事情を表す。

本作は、イタリアの名門ブランド「グッチ」のお家騒動の実話に着想を得た物語である。

レディ・ガガ演じる下町育ちの娘は、ディスコ・パーティーでグッチ家の御曹司と知り合い、結婚し、経営に口を出すようになり、女帝としてのし上がっていく。

彼女を主人公に、1978年から1997年までの約20年間の愛憎劇を描いた。

お金持ちのお家騒動物語は、古くからあるテーマだが、ハイファッション・ブランドを実名で使い、ロックスターのレディ・ガガを起用し、名匠リドリー・スコット監督が演出するなど、新鮮な魅力で見せた。

リドリー・スコット監督といえば、『エイリアン』(1979年)の宇宙サスペンスで鮮烈にデビュー。日本でも大ヒットして、怪物などを意味する流行語になったことも印象深い。

本作は人間ドラマのため、S Fは封印されているが、リドリー・スコットらしいこだわりが見られる。

注目の衣装のファッションは「エキセントリック(風変わり)」だ。あえてクセのある着こなしを多くして、人物と作品の個性をきわだてた。

たとえば、グッチ家の男性には、柄物スーツと柄物シャツ、柄物ネクタイを合わせることが多い。一般的にはくどいとされ、敬遠される着こなしだ。レディ・ガガには、ピンクや、赤、紫など、赤系の服を着せ、パワフルな印象を強調する。 

流行の表現は、時代考証がしっかりして、時代ごとのヒット曲やスポーツカー、ディスコ、ファッションショーなどのカルチャーをマニアックに再現。当時を知る人なら、思わずうれしくなる。

グッチは1921年、イタリア中部のフィレンツェで創業した。このため、物語の大半はイタリアを舞台に描かれる。リドリー・スコット監督は、アメリカから見たイタリアという視点で、イタリア文化をわかりやすく表現している。

フィレンツェがあるトスカーナ州は牛肉の特産地で、グッチ家もキアニーナ牛の農場や革工房を経営する姿を映し、土着感を出す。

トスカーナ州といえば、赤ワインの特産地でもある。このため、グッチ家二代目のC E Oを演じるアル・パチーノが、午後の休憩で赤ワインを飲むシーンが2回ある。

いずれもグラス1杯だけ。夜のようにボトルをドンと置いてガブガブ飲まない。ジュースがわりにちょっと1杯飲む感覚で、トスカーナ気質の描き方が細かい。 

こうした細かい演出を積み重ね、主人公の女性の心のなかで、次第に大きくなる怪物を描いた。

 

『サイドウエイ

(2004年・アメリカ)
監督・脚本:アレクサンダー・ペイン
出演:ポール・ジアマッティほか

 

秋のアメリカ・カリフォルニア州。40歳前後の売れない小説家(ポール・ジアマッティ)は、離婚して2年になるが、元妻に未練があるさえない男。

親切な一面もあり、親友の売れない俳優(トーマス・ヘイデン・チャーチ)の結婚式が決まると、独身最後の1週間を楽しく過ごそうと、カリフォルニアのワイナリーめぐりの旅行に連れ出した。

小説家はワインに詳しく、ワイナリーで試飲を繰り返し、ブドウの講釈を並べるが、俳優はワインに興味はなく、女性をナンパして遊ぶことばかり考えていた。

そんなある日、俳優はワイナリーで手際よく女性二人をディナーに誘うことに成功した。

俳優は昼間、花柄の半袖シャツを着ているが、ディナーに出かけるときは、グレー無地の半袖シャツに着替え、シックに装う。小説家はブラウンのコーデュロイジャケットを着てドレスアップする。

小説家はディナーに来た女性二人のうち、大学教授と離婚歴があり、飲食店でホールスタッフとして働く女性(ヴァージニア・マドセン)が気になった。その女性にワインに興味を持った背景を尋ねると、次のように答えた。

「1988年にイタリアのワイン『サッシカイア』に出会ってからよ。前の夫の影響でね。夫はこれ見よがしの大きなワインセラーを自慢するタイプだった。

でも、私は、おかげでワインの味覚に鋭い感覚を持っていることに気がついたの。やがて、ワインを飲めば飲むほど考えるようになったの。夫は偽物だと」

これが離婚の理由らしい。さらに、彼女はワインの持論を語った。

「ワインは生き物よ。ブドウの成長を考えるわ。太陽は照ったか、雨は降ったか。ブドウを摘んだ人々のことも考える。古いワインなら、その人たちはもういない。

今日開けたワインは、別の日に開けたワインとちがう味がするはずよ。どのワインも生きているからよ。日ごとに熟成して複雑になっていく。ピークを迎える日まで。ピークを境に、ワインの味はゆっくり坂を下りはじめる。そんな味わいも捨てがたい」

小説家は、彼女に惹かれたが、相棒の俳優が毎日事件を起こし、なかなか恋愛に結びつかない。

そんな人生の転換期を、ユーモラスに描いたアレクサンダー・ペイン監督は、ギリシャ系アメリカ人。ヨーロッパの血が流れているらしく、ワインの見方が深い。

娯楽大作が多いハリウッドのなかでも、家族のありふれた日常を描きながらドラマに発展させる作品が多く、異色の存在だ。日本の映画監督、小津安二郎や黒澤明の作品も好み、影響を受けたそうだ。

本作の撮影は、1960年代〜1970年代のレトロムービーのような、淡く、柔らかく、目に心地いい色調にこだわったという。音楽もミディアムテンポのジャズ・フュージョンを使い、ソフトにまとめた。

その演出は、ワインをグラスのなかで空気に触れさせ、味をまろやかにする効果に似て、ゆっくり坂を下りはじめたミドルエイジの悲哀を深めた。

 

ラ・ビスボッチャ店内

 

『鉄道員

(1959年・イタリア)
監督・脚本・主演:ピエトロ・ジェルミ

 

1950年代のローマ近郊、集合住宅で暮らす鉄道員一家の下町人情物語。

ローマ・テルミニ駅から列車を運転する鉄道員(ピエトロ・ジェルミ)は、仕事や家庭が思うようにいかず、毎晩ワインを飲んで荒れる。それを見かねた息子や娘は、家に寄り付かなくなる。

母親は、一家が仲直りして、クリスマスに再び集まることを願い、家族の関係を修復しようとする。

鉄道員がワインを飲んで荒れても、決して責めない。子供たちには、「お父さんの仕事は、神経を使う仕事だから、ワインを飲んでリラックスしなければならないし、仕事仲間との付き合いもあるから」と説明する。

鉄道員が事故の査問委員会に召喚されると、母親は委員の心象に配慮し、タンスからネクタイを出し、鉄道員のシャツの襟元に結ぶ。

鉄道員の行きつけの店は、看板にトラットリアと書いてあるが、日本の大衆酒場の雰囲気に似ている。 

鉄道員は、ワインをボトルで注文するのではなく、店主が樽で仕入れたワインを、大きなデキャンタに入れてもらい、分厚いコップでガブガブ飲む。

鉄道員はワインを飲むとき、必ず「ブドウに」と乾杯してから飲む。そんな乾杯のシーンが4回も出てくる。飲むのはいずれも白ワインの辛口。それが好みの設定なのであろう。

子どもたちには「ワインは血になるのだ」とウソの言い訳をして、飲むことを正当化した。

 

『木靴の樹

(1978年・イタリア・フランス)
監督・脚本・撮影・編集:エルマンノ・オルミ

 

物語の背景の紹介に、冒頭に出てくるテロップを引用しよう。 

「19世紀末、イタリア北部ロンバルディア地方の酪農場に、4軒の家族が暮らしていた。

家や土地、樹木、一部の家畜、農具は地主の所有だった。そして、収穫の3分の2は地主のものと決まっていた」

封建制度が残る時代を背景に、農民の貧しい暮らしを描く作品は、アメリカや日本の映画にもあった。本作のちがいは、昔の農家の暮らしを徹底してリアルに描いたことであろう。

監督のエルマンノ・オルミは、ドキュメンタリー映画の出身で、劇映画にもドキュメンタリーの手法を使い、リアリティを追求した。

農場や農家は、ロンバルディア州で19世紀末の風情が残る場所を選び、オールロケで撮影した。出演者はプロの俳優を使わず、ロンバルディア州のベルガモ県で暮らす農民を起用し、土着感を強めた。 

そもそも、エルマンノ・オルミ監督の出身が、ロンバルディア州ベルガモ県だった。幼い頃に祖母から聞いた農民の民話をもとに、自ら脚本を書き、映画化した。いわば、監督が最も知る世界だった。 

撮影もオルミ監督が手がけた。あえて鮮明に映さず、茶系のソフトフォーカスでまとめた。まるでミレーの農民画のようで、19世紀末のイタリアにタイムスリップする。

昔の暮らしを見ると、現代の文明の進化を相対的に感じる。その一方で、農民の4家族が助けあい、支えあって生きる姿に、現代では薄くなった、思いやりを濃く感じた。

そんな農家の若者から夫婦が生まれた。結婚式が行われ、新婚旅行は憧れの大都会ミラノ。ベルガモからミラノまで、当時は船で川を下り、片道90分ほどかかったという。 

船着場まで馬車で行く夫婦は、挙式のドレスアップのままの着こなしだったため、田舎では目立ち、道ゆく人々から「新婚さんだ」といわれた。

ミラノ行きの船は、20人ほどの乗客が乗り合わせていた。航路の途中で、川沿いの教会が正午の鐘を鳴らすと、乗客は一斉に「正午の鐘だ!」といって、膝の上置いた弁当の包みを広げた。

見知らぬ乗客同士だけれども、神父がいることに気がつくと、皆で持参したパンとワインを分け与えた。

 

『白いトリュフの宿る森』

(2020年・アメリカ・イタリア・ギリシャ)
監督・製作:マイケル・ドウェック、グレゴリー・カーショウ

 

本作の原題は英語で、『ザ・トリュフ・ハンターズ』 

2010年代、白トリュフの特産地、イタリア北部ピエモンテ州アルバ地区で、収穫をめぐる人々の暮らしをアメリカの映画監督が記録したドキュメンタリー映画。

監督のひとりマイケル・ドウェックは、1957年ニューヨーク生まれ。広告代理店で活躍した後に、写真家に転身。その後、ドキュメンタリー映画も手がけるようになる。テーマは古きよき時代の面影を残すものや、希少な手仕事を伝えている。

今回監督が注目した白トリュフは、トリュフのなかでも最も香りが高く、美食家に珍重されながら、イタリア北部の限られた地域にしか自生しない。しかも、地中に生えるため、地上から見えない。このため、犬の嗅覚に頼って探す、昔ながらの収穫がいまでも行われていた。

本作は、現地の白トリュフハンターの老人4人の暮らしを3年間に渡り撮影して編集。

ドキュメンタリーにありがちな、レポーターの説明やナレーション、テロップなどは一切入れず、登場人物の会話だけで暮らしを伝えた。

短い断片的シーンのつながりは、脈絡が無いようだが、積み重なると、ジグソーパズルのように世界観が見えてくる。

計画的に構図を組んで撮影したと思われるシーンもあり、劇映画のような情緒も感じる。

四季の森を歩く老人と犬は、風景画のようで、古風な民家にたたずむ老人と犬は、古典絵画のようだ。イタリアの豊かな自然や、伝統美をじんわり感じた。

老人たちは、白トリュフの収穫で森に入るとき、全身グリーンの服や長靴を着こなす。カモフラージュであろう。人目について、トリュフの猟場が知られることを警戒していた。用心深く、真っ暗な夜しか活動しない老人もいた。 

老人たちの暮らしは、伝統的な習慣を続け、ワインは自家製。夫婦でブドウを樽に仕込む姿も映る。

老人たちは、ほとんど80歳を超え、問題も浮かぶ。怪我を心配する夫人から、引退をすすめられる老人。白トリュフをめぐる狂騒に嫌気がさして引退した老人。密猟者からの妨害に困惑する老人。自分の死後も生きる犬の世話を心配する老人もいた。

白トリュフの売買の様子は、セリフに具体的な金額を盛り込み、リアルに映す。

ある仲買人は、ハンターの老人と夜の路上で会う。老人がその日に収穫した白トリュフを手に取ると「350グラムと少々か。小さいのが多いな。香りはまあまあだ。500ユーロでどうだ?」と値をつけた。

ある仲買人は、仕入れた白トリュフを見ながらレストランに電話をして「今日の品物の値段は1キロ4500ユーロです」と売り込む。

あるホールでは、ステージの上で披露された大きな白トリュフのオークションが行われている。「ドバイの買い手が7万2000ユーロの値をつけたぞ!」「そうはいくか、こっちは7万3000ユーロだ!」

映像に映る秋のピエモンテ州はいつも曇り空。森のなかで、犬の目線の先に広がるのは、湿った落ち葉ばかり。「なるほど、このような土壌で、白トリュフが生えるのか…」と思いながら、その尊さ、香りの高さ、価格の高さを、あらためて実感した。

 

ラ・ビスボッチャ店内

 

『かくも長き不在』

(1961年・フランス・イタリア)
監督・脚本:アンリ・コルピ
出演:アリダ・ヴァリほか

 

1960年代の初夏、パリ下町のカフェ。店主の中年女性(アリダ・ヴァリ)は、夫が第二次世界大戦でドイツ軍の収容所に入れられ、帰還ぜず、行方不明のまま、十数年店を切り盛りしていた。

店の看板にはカフェと書いてあるけれど、昼から白ワインを飲む客が多く、喫茶店というより、大衆酒場の雰囲気だ。客同士がケンカをはじめても、店主は無言で割って入り、女将の貫禄で仲裁する。

そんなある日、店主は、セーヌの川辺のバラックで暮らす浮浪者が、行方不明の夫だと気がついた。

しかし、浮浪者は記憶喪失で、話しかけても、結婚生活の記憶はないという。店主は浮浪者の記憶をなんとか呼び戻そうと、自店のディナーに招待した。

その夜、カフェにやってきた浮浪者は、ふだんはワークシャツを着ているけれど、白シャツを着てドレスアップしている。「ごちそうになるけれど、何もプレゼントが買えないから」といって、古雑誌を切り抜いてつくった壁飾りを手渡す。

店主は夫が好きだったブルーチーズや赤ワインを次々と出し、ジュークボックスで夫が好きだった曲を流した。

本作は、記憶の視点から人間を見つめ、映像や音楽、ワインなどを巧みに使い、スリリングなタッチで見せた。なおかつ、戦場を映さずに反戦を感じさせ、深い余韻を残した。

公開当時、新しい映画表現を切り開いたコルピ監督の演出は、世界の映画監督に影響を与えた。日本の今村昌平監督もそのひとりで、本作を何度も観て、表現の参考にした。

今村監督は1997年、自作の映画『うなぎ』をカンヌ映画祭に出品したとき、カンヌの歓迎パーティーで、本作のコルピ監督とはじめて出会った。本作の話ですぐに意気投合し、映画談義で盛り上がった。

今村監督は、憧れていたコルピ監督との思いがけない交流に感動し、カンヌに来た意義は十分あったと満足し、映画祭の対応は同行したスタッフと俳優にまかせ、授賞式の日を待たずに帰国した。

ところが、『うなぎ』はグランプリを受賞した。授賞式は今村監督の代理で、主演の役所広司がトロフィーを受け取った。

 

『ミケランジェロ・プロジェクト』

(2014年・アメリカ)
製作・監督・脚本:主演:ジョージ・クルーニー

 

第二次世界大戦末期、アメリカ軍がフランスで実際に行った作戦に基づく物語。

ヒトラー率いるナチス・ドイツは、占領したヨーロッパ各地から「モナリザ」など、貴重な美術品を数百万点略奪し、ドイツに運び、新たに建設する巨大な美術館に収蔵・展示する計画を進めていた。

こうした動きを危惧した、アメリカの美術館の館長(ジョージ・クルーニー)は、美術品の奪還作戦をルーズベルト大統領に直訴した。

すると、大統領から「状況は分かった。しかし、あいにく若者は戦場に行っていない。君が自分で行け!」といわれた。

そこで、ジョージ・クルーニーは、美術に詳しい年配者を集め、ノルマンディーからフランスに上陸。美術品を運びながら撤退するドイツ軍を追って最前線に進軍した。

ニューヨークの美術館の学芸員(マット・デイモン)は、ドイツ軍が撤退したパリで、地元の美術館の学芸員(ケイト・ブランシェット)と一緒に、ドイツ軍が積み残した美術品の整理をしていた。

ケイト・ブランシェットは、アメリカ軍も美術品をアメリカに持ち帰ると疑い、マット・デイモンに冷たい態度をとる。このとき、ケイト・ブランシェットの着こなしは、ライトグレーやネイビー、ブラックなど、冷たい色の服を着ている。

やがて、パリが開放され、アメリカ軍がドイツから奪還した美術品を元の場所に戻すことがわかると、ケイト・ブランシェットの表情に明るさが出て、着こなしも明るいオレンジ色の服にかわる。

そんなとき、マット・デイモンに最前線のジョージ・クルーニーから応援要請があり、パリから出陣することになった。

すると、ケイト・ブランシェットは「じゃあ、今晩は私の家で送別会よ。ワインは私が用意するわ」と誘った。

マット・デイモンが「服装は?」と尋ねると、ケイト・ブランシェットは「もちろん、正装よ」と答えた。

夜になり、マット・デイモンはノーネクタイの白い半袖シャツ姿で、ケイト・ブランシェットの家を訪ねると、彼女は黒いドレスに、パールのネックレスを合わせていた。

マット・デイモンが「正装は本気だったのか。従軍中だからこれが一番いい服だ」と言い訳すると、ケイト・ブランシェットは「フランスで正装のパーティーに招かれたら、服装をきちんと」といって、家の奥から弟のジャケットとネクタイを出して着せた。

食事が終わると、ケイト・ブランシェットは「もうワインは飲んでしまった。コニャックならあるわ。泊まってもいいのよ。ここは恋の街、パリよ」と声をかけるが…。

ルーブル美術館の「モナリザ」など、ヨーロッパの美術品の意外な背景に驚き、戦争がもたらす狂気をあらためて感じた。

そのことを、ジョージ・クルーニーは、命懸けで美術品を守る人々を通して描いた。

 

ラ・ビスボッチャ店内

 

『バベットの晩餐会』

(1987年・デンマーク)
監督・脚本:ガブリエル・アクセル
出演:ステファーヌ・オーランドほか

 

1885年の冬、北欧デンマーク、海辺の寒村。小さな教会を守る老姉妹は、牧師だった亡き父の生誕100年を記念して、祝賀会を開くことにした。

すると、教会で14年働くフランス人家政婦のバベット(ステファーヌ・オードラン)は、姉妹に「お願いがあります。私に、お祝いの晩餐をつくらせてください」と申し出た。

しかし、姉妹は、いつもの料理とコーヒーで十分と断る。バベットは引かず「フランス式の晩餐をつくらせてください。費用は私が払います。いままで頼みごとをしたことがあったでしょうか?心からのお願いです」と懇願した。

姉妹は「そこまで言うなら…」としぶしぶ承諾する。バベットは数日休暇をもらい、フランスから晩餐用の食材とワインを仕入れてきた。

晩餐会の客は、姉妹と村人などで12人。牧師に縁があった人物として、スウェーデンの将軍も含まれていた。村人はブラックタイで正装、将軍は軍服を着ていた。

将軍はパリに駐在した経歴があった。次々と出てくるフランス式のコース料理やワインを堪能すると、教会の奥で調理をしているのは、パリの高級レストランで、天才といわれた女性料理長だと見抜いた。

本作は、会話のなかでメニューやワインが詳しく語られ、グルメ映画のはしりとされた。日本で公開された当時、市況はバブル景気に湧き、グルメブームのなかで本作も注目され、映画のコースを再現するホテルもあった。

しかし、本作は、単なるグルメ映画というより、人間の奥深いドラマとして完成度が高い。

バベットの一家はパリで、政府軍と対立するパリ・コミューンという革命政府を支持していた。やがて、パリ・コミューンは鎮圧され、支持者は次々と処刑され、バベットも夫と息子を処刑された。

バベットの身にも危機が迫り、デンマークの教会に縁のある知人の手配で、国外に逃亡した。その境遇が、姉妹への恩返しと、フランス料理への思いを強くしている。

19世紀末といえば、日本でも幕末から明治維新の大きな変革があり、命を落とす犠牲者が多かった歴史と重なる。

晩餐会の客は、ほとんど高齢者で、高齢化社会の先進国、北欧らしい設定だ。高齢者が人生を振り返って語る、晩年の思いは味わい深い。

姉妹は、晩餐会の客が帰ると、厨房でバベットに礼をいう。バベットは姉妹にパリのレストランの料理長だったことを明かし、「力の限りを尽くして、お客さまを幸せにしました」と言い切る。

そんなバベットを、ガブリエル・アクセル監督は、至高の作品を極める芸術家のように描いた。

 

『秋日和』

(1960年・日本)
監督・脚本:小津安二郎
出演:原節子・司葉子ほか

 

秋の東京、1960年代のはじめ、原節子演じる未亡人は、24歳になる一人娘(司葉子)と暮らしていた。亡き夫の旧友たちは、そんな暮らしを見かねて、娘の嫁入りの世話をはじめる。

旧友のひとり、会社役員を演じる中村伸郎の家が映ると、和室の居間の茶箪笥のなかに、洋酒と並んで、サントリーの「赤玉ワイン」が収納されている。

もうひとりの旧友、会社役員を演じる佐分利信の家の茶箪笥にも、洋酒と並んで「赤玉ワイン」が収納されている。

小津監督は日本酒党で、ワインはあまり飲まなかったが、一般家庭を想定して、当時の時流を取り入れたのかもしれない。あるいは、広告収入を目当てに、サントリーとタイアップしたことも考えられる。

しかし、最も有力な説は、「赤玉ワイン」のラベルの赤玉だと思う。

日本の映画のカラー化は1951年からはじまるから、小津監督がカラーを取り入れたのは遅い。

カラー化の時流は理解していたが、会社がカラー化を強要し、「総天然色」という宣伝文句をつけて売り出すことが好きではなかった。

カラー映画をつくるならば、自分のカラーを出そうと考え、赤をアクセントにする色面構成を生み出した。

たとえば、本作で、原節子がアパートの部屋に座り、ケーキを食べるシーンがある。背景は白い障子と赤いカーテン。原節子はグレーの和服を着て、帯留めだけ赤を合わせている。

食卓の上のケーキの包装紙は、白地に赤と黒のストライプが入る「ユーハイム」。つまり、このシーンの色は、モノトーンと赤しかない。

小津監督は、あらゆるものを、漠然とカラーフィルムで映すのではなく、自分が好む色の構成で背景や衣装、小道具を揃えてから、カラーフィルムで撮影した。

このため、海外の評論家のなかには、小津映画を「モンドリアンの抽象画のようだ」と表現する人もいる。そのような目線で画面の色を見ると、別の面白さがある。

小津監督が赤いアクセントを入れるために、好んで使った小道具は、赤いヤカン、赤いキャップの「味の素」卓上瓶、赤星がラベルにつく「サッポロビール」、そして「赤玉ワイン」である。

 

今回選んだ映画に観る、名監督のワインの描き方は、飲み物のひとつというより、生活に欠かせないものとして人間のドラマに染み込み、心の動きの表現を深めた。

木々が色づく季節をむかえると、ワインがより美味しく感じる。レストランで、銘醸ワインをじっくり味わうのもいい。

親しい仲間との会食ならば、着こなしは、ワイナリーのブドウ畑をイメージして、素朴でナチュラルな表情のツイードやコーデュロイを合わせると、ワインを楽しむ気分が、より盛り上がるであろう。