第30回 CAMBODIA KURATA PEPPER
◆より豊かな香りを求めて
コショウはイタリア料理に欠かせない調味料です。
料理の味をより豊かにするためには、食材や調理道具のこだわりはもちろん、コショウも吟味しなければなりません。
こうした探求の中で、かつて世界一の香りといわれたカンボジアのコショウを日本人の手でよみがえらせたクラタペッパーとの出会いと導入、6月に共催したディナーイベントの模様を特集しました。
解説/料理長 井上裕基
写真・文・エッセイ/ライター織田城司
Commentary by Yuuki Inoue
Photo・Text・Essay by George Oda
1.カンボジアから広尾へ
広尾。わがレストランのある街。
大使館や学校など、公共施設が多く、街の景観は1993年の開業当時からほとんど変わりません。
でも、お客様の興味は、時代とともに変化しています。
開業当時は、本場のイタリアンレストランの世界観を忠実に再現した空間とサービスが珍しく、評判になりました。
あれから25年経つうちに、航空運賃は安くなり、本場イタリアで食事をすることが身近になりました。
通信技術の発達から、イタリアの情報や食材の入手も手軽になりました。
このような背景の中で、当店も味の進化の必要性を感じ、塩・コショウの見直しも課題となりました。
塩は色々なものを試し、味や粒の大きさ、口溶けなどの点で、シチリア産の自然海塩「エガディ」の細粒が当店の料理に合うと感じて、使っています。
ところが、コショウの情報はほとんどありませんでした。
というのも、コショウの主な産地、東南アジア諸国は1950年代から1990年代にかけて、独立運動や内戦などで、コショウの流通が不安定だったからです。
今世紀に入り、ようやく東南アジアのコショウの流通が再開しました。
あらためて資料を調べるうちに、かつてカンボジアのコショウは世界一の香りと評判だったことを知りました。
そこで、関係者を通じてカンボジアのコショウの仕入れルートを調べるうちに、日本人が手がける「クラタペッパー 」というメーカーがあることがわかりました。
コンタクトを取るうちに、来日する機会があるということで、商品を紹介していただきました。
2. クラタペッパーの魅力
クラタペッパーの代表・倉田浩伸さんは1969年三重県生まれ。1997年にカンボジアでコショウ農園創業。2005年にプノンペンで直営店をオープンしました。
2018年春に来店され、手がけるコショウを紹介していただきました。スタッフと試食して、香りが高く、豊かな広がりがあることから、何点か使用することにしました。
ビスボッチャがセレクトしたクラタペッパー のコショウ
◆フレッシュグリーンペッパー
すがすがしい薬草系の香り。口の中で噛みしめるとプチッとはじける粒感。ピリッとした辛さ、ほろ苦い後味。
カンボジアで摘みたてのグリーンペッパーを真空パックで保存して空輸したものです。
当店では主に、フライの具材や煮込み料理の具材兼スパイスとして使用しています。
◆ブラックペッパー
柑橘系や木材系など、リラックス感があるフルーティーな香り。さわやかな辛さ。
フレッシュグリーンペッパーを乾燥させたものです。
当店では主に、料理の下味つけなど、ベースメントとして使用しています。
◆完熟胡椒
レーズンのような、甘くて深い熟成香があり、華やかな印象。まろやかな辛さ。
一房に1、2粒しかできない赤く完熟した実だけを集めて乾燥させたコショウの最高級品です。
乾燥しても赤い色が残り、皮に甘みがあるからツヤがあります。
当店では、主にコショウを効かせた料理や、見せる要素としても使用しています。
クラタペッパーの商品の日本国内での一般消費者向けの小売は、クラタペッパーのオンラインショップ →http://kuratapepper.cart.fc2.com/をご利用ください。
完熟胡椒はマスコットフーズのオンラインショップ→shop.mascot.jpでも取り扱いがあります。
コショウへの想い
◆700年の歴史とオーガニック
倉田さんが来店した機会に、コショウについて詳しくお尋ねしました。
カンボジアのコショウとクラタペッパーの特徴は?
「カンボジアのコショウの生産は、700年の歴史があります。近隣諸国は1990年代から始めた所が多い。その差がどこにあるのか、科学的な立証は専門外ですが、味を比べれば、香りの豊かさと、辛さの奥深さがちがいます。理屈じゃなく、とにかく美味しい。
たとえば、人間でも初めて行く土地で暮らすとしたら、気候風土に慣れるまで時間がかかりますよね。アウエーの感覚です。海外ならなおさらです。
コショウの苗木はどこでも育ちます。でも、個人の観賞用ならともかく、美味しいものを大量に安定供給しようとすると話は別です。カンボジアの気候風土はコショウによくなじみ、ストレスが少なく、栽培を熟知した農家も多く、ホームグランドだと思います」
「もうひとつ、カンボジアのコショウの特徴は、粒が大きいことです。花が咲いてから実が熟すまで約8ヶ月かかります。他の国より2ヶ月長くかかりますが、世界で一番大きく、重たいコショウが出来上がります。こうした大粒感は、生で食べた時の食感や、乾燥させて挽いた時の香りのバランスを、よりダイナミックにします。
さらに、クラタペッパーでは、コショウにストレスをかけないために、手を加えず、自然のままの環境で育てています。いわゆるオーガニックで、カンボジアのオーガニック協会から認定を受けています。コショウに付いた虫は収穫してから従業員が手作業で取り除いています。手間とコストはかかりますが、美味しくて、安全なものに対する需要はあると思います」
◆カンボジアへの憧れ
倉田さんをコショウにかりたてる背景は、コショウが好き、ということでしょうか?
「いや、ちがいますね。カンボジアが好きなのです。中学、高校の多感な時代に知ったカメラマン沢田教一のカンボジアでの活動や、カンボジア内戦を描いた映画『キリングフィールド』(1984年作)を観て、カンボジアに強い興味を持ちました。
やがて、カンボジアで仕事をするようになりました。カンボジアを元気にしたい、という想いが先にあり、コショウはその事業のうちのひとつでした。
カンボジアの主な産業は農業です。農業で何かできないかと思い、伯父が残した1960年代の農業統計資料をもとに、当時の産地を調べました。すると、内戦後数本だけ生き残ったコショウの苗から小さな畑を再興していたカンボジア人のお年寄りと出会いました。
これも何かの巡り合わせと思い、そこをカンボジアのコショウ復活の地にしようと決め、そのお年寄りの息子と農地の拡大をはじめました」
「完熟胡椒は、もともとカンボジアの農家の人たちが収穫の中から自家用に取り置いたものです。ブラックペッパーの中に赤い粒が点在していたら、品質の安定や見た目という点では不都合なので取り除きます。でも、それが美味しいことを農家の人たちは知っていました。
私はそれを発見すると、世界の人々の暮らしを豊かにするために売り出し、カンボジアのコショウのステイタスにして、地元の誇りにしようと考えました。カンボジア・アズ・ナンバーワンの発想です」
「フレッシュグリーンペッパーは、現地の人が炒め物に入れる姿を見て、生のコショウを野菜として扱うことが新鮮に映り、商品化しようと思いました。
このような商品開発はコショウだけを見ていてはできないことで、カンボジアの人々の暮らしを見つめることから生まれます」
倉田さんにコショウについてうかがいながら、気づいたら、仕事の在り方を学んでいました。海外で働く時は、その国に憧れ、暮らしと文化を広く見ることが大切だと思いました。良いと感じた縁を追い風にする発想も参考になりました。
イタリア料理の修行でも、現地で専門技術を習得することはもちろんですが、イタリア文化が好きでたまらない、というモチベーションの有無で、成果にちがいが出てきます。
◆ペッパーサムライ
対談を終えて立ち上がった倉田さんを見て、「おや?」と思いました。
スーツの脇から丸い物がのぞいています。一瞬、ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじかと思って驚きました。よく見ると、ペッパーミルの頭でした。
倉田さんはいつでもどこでも自社のコショウを味わっていただくために、ペッパーミルを携帯していたのです。コショウ好きではないと謙遜しながら、コショウに愛着を持っていました。
やはり、専門の道を極める人は、突き抜けた境地があるな、と感心しました。このペッパーミルは倉田さんにとっての武器。サムライの刀、料理人の包丁と同じなのです。
そこで、倉田さんに愛用のペッパーミルの由緒を尋ねると、それまでの修行僧ような表情がやわらぎました。男はメカが好きですから、うれしかったのでしょう。
「これは日本製のイケダのペッパーミルです。イケダは当初、フランスのプジョー社のペッパーミルを模範として開発を進めました。当時カンボジアはフランス領で、プジョーもカンボジアの大粒コショウに合うペッパーミルを作っていました。
ところが、1954年にカンボジアがフランスから独立して、しばらく内戦の混乱が続き、コショウの流通が途絶えるうちに、プジョーは大粒コショウに合うミルの生産を終了しました」
「それでも、イケダは昔のプジョーの規格を基本にペッパーミルの生産を続けていたため、復活したカンボジアの大粒コショウにちょうど良く合うのです。
イケダはこのスペックに、日本人独自の技術開発力で、コショウを砕く金具に工夫を加えました。ファイブスターとよばれるオリジナル金具で、グラインダーは2段、リングの溝も2段という構造です。この金具によって、大粒コショウの皮、果肉、種の3層が、香りにとってベストなバランスで挽けるのです」
ということで、当店でも、クラタペッパーの導入とともに、イケダのペッパーミルも何個か仕入れました。
操作性はスムーズで、粒の引っかかりや空回りはなく、挽いたコショウの大きさも当店の料理に合うと思います。クラシックなデザインや風格ある質感も当店のインテリアと調和します。
4.コショウを味わうメニュー
カチョ・エ・ぺぺ
コショウを味わうイタリア料理のメニューとして、カチョ・エ・ぺぺを紹介します。
直訳すると「チーズとコショウ」という意味で、文字どおり、チーズとコショウのみで味付けしたシンプルなパスタです。
コショウにクラタペッパーの完熟胡椒を使い、合わせるチーズとパスタにイタリア産の長期熟成タイプを使ってバランスを持たせた調理例です。
調理
◆完熟胡椒のクラッシュを作る
クラタペッパーの完熟胡椒は、香りは高く、辛さはマイルドです。
このため、たくさんふりかけて香りを強くしたり、コショウの粒を大きめに粉砕して、食感を楽しむ技が使えると思いました。
そこで、ペッパーミルで挽くより大きい破片(クラッシュ)のコショウを手作りして、仕上げにふりかけます。
◆パスタをゆでる
パスタは小麦の風味が豊かで、もっちりした食感が特徴の極太パスタ、スパゲットーニを使います。生産者はイタリア中部マルケ州の「パスタ・マンチーニ社」です。
こちらは、パスタ用に小麦を生産する農家が、小麦畑の中にパスタ工場を作って生産を始めた、ユニークな経歴のメーカーです。
様々なパスタメーカーに供給する小麦を長年研究してきただけあり、小麦の厳選と製麺方法に優れています。
自家栽培小麦を100%使い、じっくりと熟成保管して風味を引き出し、製麺後は低温で長時間乾燥させて風味を凝縮しています。
◆ソースを作る
◆仕上げ
お召し上がり
出来上がったカチョ・エ・ぺぺは、チーズの香りが豊かに漂い、完熟胡椒の香りが続きます。
完熟胡椒のクラッシュに見る赤味とダイナミックに飛び散った文様は香ばしい印象を強調して、食欲をそそります。
パスタを口に含むと、もっちりした歯ごたえと強いコシを楽しみ、中から小麦の風味や旨味、甘みを豊かに感じます。
ときどき舌に感じる完熟胡椒のクラッシュを奥歯でカリッと砕くと、熟成された甘い香りが口の中に広がり、鼻へと抜け、後味にほのかな苦味を感じます。
チーズに含まれる塩味と旨味が全体のベースとなって香りを支え、シンプルでありながら飽きない味わいをまとめています。
お飲物
銘柄/カステッロ・ディ・ブローリオ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ
ワイナリー/バローネ・リカーゾリ
生産地/イタリア中部トスカーナ州キャンティ地区
ぶどう種/サンジョベーゼ80%、カベルネ・ソーヴィニヨン10%、メルロー5%、プティ・ヴェルド5%
生産年/2013年
◆完熟デュエットを堪能
熟成した食材で作るカチョ・エ・ぺぺは味と香りがしっかりしているため、合わせるワインは赤をおすすめします。
キャンティ・クラシコ地区で1000年に及ぶ歴史を持つ「リカーゾリ家」が手がけるこちらの赤ワインは、グラスに注ぐと、ベリー系果実やジャム、トースト、ヴァニラ、コーヒー、オークなどのニュアンスが香ります。
口に含むと、味わいは辛口ながら、豊かな果実味を感じます。ガツンとした力強さよりも、繊細でエレガントな印象が強く、パスタにちょうど良く合う飲み口です。
完熟胡椒のレーズンのような香りのニュアンスを、ワインでさらに広げる相乗効果をお楽しみください。
5.トーク&ディナーイベント
クラタペッパーとビスボッチャは6月28日、コショウを味わい、楽しむ、トーク&ディナーイベントを開催しました。
食材やワインをメインにしたイベントは、よくありますが、コショウをメインにしたイベントは初めてでした。
それでも、定員よりも多くのお客様にご来店いただき、コショウに対する関心の高さを実感しました。
ディナーはコショウの味わいを堪能する料理をコースにしました。前菜はグリーンペッパーとブラックペッパーを中心に、パスタとメインは完熟胡椒を中心に構成しました。
テーブルには、ブラックペッパーと完熟胡椒のペッパーミル、完熟胡椒のクラッシュを入れた容器を置き、お好みで追加していただくようにしました。
お客様は初めて味わうカンボジアのコショウの豊かな香りに驚きの声をあげ、料理を写真に収めていました。
会場ではクラタペッパーとイケダのペッパーミルの即売もあり、帰りに買い求めるお客様が多く見られました。
当日は倉田さんの奥様・由紀さんの誕生日で、サプライズのケーキ演出や花束贈呈がありました。
奥様はクラタペッパーの店舗や販売促進ツールのデザインを監修しています。理由は最初に倉田さんがデザインしたパッケージの印象が硬いと感じたからだそうです。
倉田さんにとって、奥様のアドバイスが、何よりのスパイスだと思いました。
6.エッセイ
食のこぼれ話『食卓のコショウ』
日本の家庭の食卓にコショウが普及したのは戦後になってからです。
明治時代に洋食の導入がはじまり、街の洋食屋でいち早く人気になったメニューは、カツレツ、コロッケ、カレーライスでした。ごはんに合う、濃い味付けの和洋折衷型です。
こうした人気を背景に、明治の末から昭和のはじめにかけて、ウスターソースとカレー粉が相次いで市販化され、一般家庭の台所に普及しました。
同じ頃、塩コショウの味付けは、洋食レシピ本に紹介されていたものの、外国人向けの洋式ホテルや、コックを雇用する財閥のお屋敷など、ひと握りの富裕層に使われただけで、一般家庭への普及には至りませんでした。
日本の香辛料メーカーによって卓上白コショウが市販化されたのは、アメリカ占領軍による統制経済が終わった1950年代のはじめ頃からです。
その頃公開された映画『お茶漬の味』(1952年作)のラーメン屋のカウンターには、早くも卓上白コショウが登場しています。でも、主人公のサラリーマン宅の食卓には、醤油と味の素があるだけで、コショウはありませんでした。
1964年の東京オリンピック開催が決まると、来日する世界各国の選手団や観光客をもてなすために、交通機関のスピード化や、本格的な洋食の量産が国家プロジェクトとして推進されました。
その影響から、レストランではビフテキが人気メニューになりました。レアやミディアムなど、焼き方の用語を知ってることがステイタスになり、塩コショウの味付けも徐々に認知されるようになりました。
1970年の大阪万博開催で洋食の本格化はさらに進みます。それでも、その頃の映画、寅さんシリーズの第12作『男はつらいよ 私の寅さん』(1973年作・マドンナ岸恵子)の団子屋の食卓を見ると、醤油、ソース、味の素、イカの塩辛の瓶詰め、ラッキョウの瓶詰めは置いてあるものの、コショウはありませんでした。台所でコショウを使うことはあっても、食卓に常備するほどの使用頻度はなかったものと推測されます。
1980年代の映画『家族ゲーム』(1983年作)の団地の食卓を見ると、テーブルの上に常備されている調味料トレイの上には、醤油、ソース、味の素に加え、塩、コショウ、タバスコが並ぶようになりました。
1980年代頃から、それまでのアメリカンブームが一段落して、ヨーロッパ文化への憧れが強くなり、イタリア料理も人気になりました。
そこで注目されたのがブラックペッパーです。本格的なイタリアレストランで味わう、ペッパーミルで挽きたてのブラックペッパーの香ばしさや粒感、辛味などは、白コショウとちがう迫力がありました。自分でペッパーミルを回し、ガリガリ挽く手の感触も魅力がありました。
こうした人気にこたえ、2000年代に入ると、ブラックペッパーやペッパーミルの市販化が広がり、一般家庭に普及しました。
現在、日本人の文化に対する興味は、歴史を深掘りして、本質を地球規模で見極める傾向にあります。
コショウも、白コショウの普及からブラックペッパーブームを経て、原産地にこだわる第三の波が押し寄せ、カンボジアのコショウも注目されています。
バブル経済の崩壊と、自然災害に揺れ動いた平成時代は、間もなく終わろうとしています。
食卓のコショウも、新しい時代を迎えます。
いつもご利用いただき、誠にありがとうございます。
今宵も、ラ ・ビスボッチャのディナーで、楽しいひとときをお過ごしください。