私とビスボッチャ:播磨 毅さん

『イタリアそのまま』

ME AND MY BISBOCCIA

Episode 8 : Takeshi Harima

 ◆播磨 毅さんプロフィール

有限会社メルカート 代表取締役

1951年生まれ。30歳代から輸入建材を扱う会社で勤務。1991年、40歳で独立し、イタリアとスペインの輸入タイルの販売を主力事業とする有限会社メルカートを代官山に設立。有限会社メルカート:ホームページ→http://www.mercato-srl.co.jp

ラ・ビスボッチャの店内で語る播磨 毅さん

1.イタリアへの思い

明るい国民性

イタリアに行って感動することは、国民性が明るいことです。

たとえば、私がブティックに行き、店員に「この商品を見せてください。」とお願いしたとします。店員は商品をショーケースから取り出してテーブルの上に置き、「何かお手伝いしましょうか?」と問いかけます。

私は「今日は見るだけですから。」と答えます。しばらく商品を眺めてから「ちょっと考えて、また来ます。」と告げると、店員は笑顔で「どういたしまして、また来てください。」と答えます。嫌な顔はしません。

これが他の国だと「何だ、買わないのか」という思いが、顔と態度に出てしまいます。イタリア人の明るい国民性が、イタリア旅行を楽しくしてくれます。

ラ・ビスボッチャの店内で語る播磨 毅さん

良いものは良い

イタリアを訪ねたのは、今年の9月で71回目になりました。

ヨーロッパの輸入建材を扱う商売の関係で、年一回イタリアのボローニャで開かれる世界最大級の陶磁器タイルの国際展示会『チェルサイエ(CERSAIE)』へ行きます。

最新のタイルを使った展示を見ながら傾向を把握したり、商談したりします。余裕がある時は、自分へのご褒美と思って、イタリアを満喫する為、レンタカーを利用して旅を楽しみます。

ラ・ビスボッチャの店内で語る播磨 毅さん

最初にイタリアに強く惹かれたのは、ファッションでした。1980年代、私が30歳代の頃でした。

南青山のフロム・ファースト・ビルにイタリアのメンズウエアのブランド『バルバス(BARBA’S)』のショップがありました。やがて、近くにイタリアの『ヴェリー(VERRI)』のショップが出店するコレッツィオーネ・ビルもできました。

日本でまだアルマーニがブレイクする前でしたが、業界の先端を行く人々は、早くもイタリアのファッションに注目してトレンドスポットになり、私も憧れました。

でも、『バルバス』は値段が高くて、当時の私には手が出ませんでしたが、思い切ってパンツだけ買いました。着用すると、シルエットがすごく綺麗で、生地も良く、今までにない最高の履き心地でした。「イタリアってこんなに良いものを作っているのだ」と思いました。

それ以来、興味がイタリアの「良いもの」に傾き、イタリアに行くと意識的にトレンドで上質な装身具や皮小物を見るようになりました。どれも素晴らしかった。

80年代の終わり頃、イタリアを舞台にした映画『グラン・ブルー』(1988年)や『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)が公開されると、感動して何度も観に行きました。そこでまたグイとイタリアに惹かれました。

また、最初の「チェルサイエ(CERSAIE)」訪問の1991年秋には、『グラン・ブルー』のロケ地、シチリア島のタオルミーナの海で泳いで来ました。

映画『グラン・ブルー』(左)と『ニュー・シネマ・パラダイス』のポストカード

1991年、40歳で独立して、今の会社を代官山に設立した時、最初に扱いたかったのはフィレンツェのテラコッタ・タイルでした。あの赤茶色と暖かみのある質感は、他に無い表情がありました。

やがて、「良いものは良い」が持論になりました。世界の一流品や名品といわれるものは、実際に使ってみると確かに良い。人々に長年愛される理由があるのです。

そのような「良いもの」を享受するために仕事をする。そのためには、仕事で扱う商品も「良いもの」でなければならないと考えています。料理も同じです。“マイ・ミシュラン”に取り入れた衣・食・住に趣味を加え、レベルアップする為、仕事に向き合っています。

ラ・ビスボッチャの店内で語る播磨 毅さん

2.イタリア料理の魅力

厚切りビステッカに夢中

フィレンツェへ行ったら、“マイ・ミシュラン”のリストランテやトラットリアで美味しい「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ」を食べます。

脂身の少ない赤身肉、キアニーナ牛を炭火で焼いたものです。中は温度が上がる程度で、赤身が多く残っています。

彼等はそれ以上火を通して提供することは「出来ない」と言います。自分たちが一番美味しいと思う焼き加減だからです。

イタリアに通ううちに、そんな焼き加減のビステッカに惹かれていきました。最近フィレンツェで美味しいと思ったビステッカは厚切りです。日本でやっているお店は少ないから「ビスボッチャ」が再現してくれるなら是非お願いしたい。

(取材中、料理長・井上は、播磨氏がフィレンツェで撮影した写真をもとに、厚切りビステッカの再現を試みました。出来上がったビステッカは播磨氏から「うん、こんな感じだ。イタリアに行っているみたいです」とご評価いただきました)

ビスボッチャで再現したフィレンツェ風厚切りビステッカ。アイルランド産ヘレフォード牛・骨付きロース600g使用

フィレンツェ風厚切りビステッカの断面を上にして撮影した赤身が残る焼き加減

3.私とビスボッチャ

イタリアそのまま

1980年代末、日本でイタ飯ブームが起こり、イタリアン・レストランの開店ラッシュがあり、食べ歩いていました。

1993年に「ビスボッチャ」ができると「ウワァー!イタリアそのままがある!」と驚き、感動しました。天井が高く、イタリアらしい建材にこだわった空間は、イタリアそのままでした。もちろん料理もイタリアの味でした。

それ以来、通っています。今は、平均すると1.5ヶ月に1回のペースで通っています。注文するメニューはいつも決まっていて、定番的なものです。

前菜は、どうしても本場の生ハムが食べたいから「季節の果物と生ハムの盛り合わせ」を注文します。「ビスボッチャ」は生ハムが沢山出て回転が早いから、いつも新鮮で、やわらかい生ハムを食べることができます。定番はパルマ産ですが、サン・ダニエーレ産が入荷した時は、大喜びで注文します。マグロだと中トロみたいな感覚で、塩分控えめなトロける食感と風味が増しています。

ラ・ビスボッチャのパルマ産生ハム

プリモは、「フェットチーネ、ポルチーニ茸入りボロネーゼソース」と「パルメザンチーズのリゾット」を注文します。

セコンドの肉か魚かは、その日の気分で決めます。魚は単品を「アクアパッツア」のように調理して食べることもあるけれど、「フリット・ミスト・マーレ」は、セモリナ粉を薄くまとった私の大好物な一品でとても美味です。

炭火焼き肉料理は、「牛リブロース、ルーコラ パルメザンチーズ添え」を注文することが多い。メニューにないフィレンツェ風厚切りビステッカができる時は、特注したい。

勿論、ヘルシーメニューの「ミックス・サラダ」や「ほうれん草のソテー」、「ミックスきのこのソテー」もチョイスする。

デザートは、いつも「ミルフィーユ」と「ボスカイオーラ」を注文しています。「ミルフィーユ」は売り切れてしまうことが多いので、最初に料理を注文する時に取り置きしてもらいます。

私は、自分の中で飲食店のランキング、“マイ・ミシュラン”を決めています。イタリアンや寿司、中華など。イタリアンでは「ビスボッチャ」が一番で星☆☆です。

ナポリ民謡『オー・ソーレ・ミオ』は、「おお!私の太陽よ」と歌う唄です。私にとっての「ビスボッチャ」は、『オー・リストランテ・ミオ』。つまり「おお!私のイタリアン・レストラン」なのです。

ラ・ビスボッチャの店内で語る播磨 毅さん

料理長・井上 裕基 談

いつもご来店いただき、誠にありがとうございます。

今回は、お肉の焼き方について、ゆっくりお話をうかがうことができました。ご要望のフィレツェ風厚切りビステッカは、理想のお肉が入荷した時は、いつでも再現します。

メニューに載っていない魚介のフリット・ミストもお作りしますので、お気軽にお申し出ください。

播磨さんの“マイ・ミシュラン”の三つ星を目指して頑張ります。

 

取材日:2019年10月28日

監修/料理長 井上 裕基 写真・文/ライター 織田 城司

ラ・ビスボッチャ外観