私とビスボッチャ:近藤篤さん

ME AND MY BISBOCCIA

Episode 9 : Atsushi Kondo

 

『人生で一番たくさん来たお店』

ビスボッチャに来店されるお客さまへのインタビューの連載コラム。今回は、スポーツの報道などで活躍する写真家、近藤篤さんに、サッカーやイタリア、ビスボッチャの魅力について語っていただきました。

 ◆近藤篤さんプロフィール

写真家。

1963年、愛媛県今治市生まれ。1986年、上智大学外国語学部スペイン語学科卒業。フリーランスの記者として写真撮影や執筆を手掛ける。主にスポーツのジャンルを得意とする。

ビスボッチャの店内で食前酒を手に持つ近藤篤さん

1.イタリアへの思い

サッカーがイタリアの思い出

中学生の頃、サッカーが好きになりました。

それ以来、高校、大学時代を通じて、自分でサッカーをすることや、サッカーの観戦に夢中になりました。

1986年に大学を卒業すると、その年に開催されたサッカー・ワールドカップ・メキシコ大会を観戦するため、バックパッカーとしてメキシコへ渡りました。その大会ではアルゼンチンが優勝し、マラドーナ選手の「神の手ゴール」が伝説になりました。

その後も半年ほど、バックパッカーの旅を続けていました。でも、毎日、朝からやることがないことに違和感を覚え、次第に飽きてきました。

そこで、当時サッカーに勢いがあり、憧れていたアルゼンチンに移住し、そこを拠点にフリーの記者として、南米のサッカーを取材し、記事を日本やフランスのスポーツ誌に送るようになりました。

そのうち、出版社の人から「文章だけでなく、写真も撮れば?」と言われました。確かに、カメラを持っていると、女の子に声をかけやすくなると思い、撮影を始めたのが1987年です。

カメラの技術は、試合の取材現場にいた外国人カメラマン達に質問して教わりました。スタジオの撮影方法は、アルゼンチンの友人がスタジオで仕事をするのを見て覚えました。

ですから、カメラマンのお師匠さんに付いて修行をした経験はないのです。良くも悪くも、しがらみはありませんでした。

ということで、33年ほどカメラマンを続けてきましたが、ここ3年で、ようやく自分らしい写真が撮れ、自信が持てるようになったと感じています。

ビスボッチャの店内で語る近藤篤さん

はじめてイタリアへ行ったのは、1990年のサッカー・ワールドカップ・イタリア大会の取材でした。

あの頃から、イタリアのサッカーに勢いが出てきて面白くなりました。その後も熱中して、ミラノやローマのスタジアムへよく行きました。

イタリアのサッカーの勢いは、2006年のサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会で優勝することでピークを迎えます。その間、ペルージャで活躍していた中田英寿さんを取材するために、ペルージャへも何度か行きました。

今でこそ、イタリアの情報は手に取るようにわかるけれど、1990年代はじめは、日本人でイタリアへ行く人は少なく、インターネットも発達していなくて、現地で見るもの、食べるもの、若い女性の美しさなどは、驚きの連続でした。すぐ好きになり、これは日本で流行ると思いました。

その中でも、洗練された都市ミラノは、私にとってお気に入りの街でした。食事は楽しく、ショッピングも楽しめました。

イタリアのサッカーのサポーターは、世間が騒ぐほど怖いとは思いませんでした。私はそれ以前の1980年代後半に、アルゼンチンで凶暴なサポーターの洗礼を受けていたからです。

今は規制されましたが、当時のアルゼンチンのサポーターは、敵対するチームの選手に向かってコインを投げつけるのです。お賽銭ではなく、選手を痛めつけてダメージを与えるためです。

当然、観客にも当たる。私も頭にガーンと金属が当たり、血が出て、何かコインとちがう金属だと思って見ると、魚釣り用の重りでした。「こんなものスタジアムに持って来るなよ!」と思いました。

イタリア人でも、南部の人はキレやすいと思いました。私の友人のローマ人の夫婦は、毎日朝から晩まで口論をしていました。静けさを好む日本人としては苦痛なので、泊まっていけと言われるけれど、いつも断っていました。

どこからあのエネルギーが出てくるのかと思いました。それがサッカーなど、良い方向に向けば、パワーになるのがラテン系なのでしょう。

近藤篤さんが手にするのは、今年10月に文藝春秋から発行された、自ら撮影した写真を表紙に掲載するスポーツ雑誌『スポーツ・グラフィック ナンバー』の1013号のラグビー特集。本誌では、両選手の巻頭対談記事の執筆も手掛けた

スポーツ雑誌『ナンバー』とのお仕事は、活動の拠点をアルゼンチンから日本に移した1993年、ギリシャがサッカー・ワールドカップの出場を決め「ギリシャのサッカーをレポートしてくれ」と依頼を受けたのが最初です。それから長年お仕事をいただいております。

でも、毎号お仕事をもらっているわけではありません。ない時は何ヶ月もなかったりします。フリーランスですから、その怖さがある。

その怖さがあるから撮影や執筆の腕を磨こうと考えます。これが、固定給をもらうような安定した仕事だと、私の場合は、クリエイティブが進化しないと思っています。

今年はコロナの影響で、3月から4ヶ月くらい取材の仕事はありませんでした。でも、何ヶ月も仕事がないことは、過去に何度も経験していたので気になりませんでした。

外出を自粛するから、お金を使わなくてラッキーだとポジティブに考えました。しかし、動画配信で寅さんシリーズなどを毎日観ていたら腰を痛め、しっかりした椅子に買い替え、結局散財してしまいました。

評論家の人たちは、アフターコロナは、世の中の価値観が変わると言っているけれど、私はそんなに変わらないと思います。中世の時代にペストが流行しても、人々の生活スタイルは変わりませんでしたから。

リアルなレストランに人が集まり、目の前に人がいる状況で、できたての料理を食べたいことに変わりはなく、以前のスタイルに戻ると思います。もちろん、感染予防の基本に対応している前提でのお話です。

2.イタリア料理の魅力

トスカーナ料理が好き

子どもの頃、祖父がレストランを営業していました。「グリル・タイガー」というベタな店名なのですけれど、今治市では知らない人がいないくらい有名でした。そこが洋食に親しむベースになりました。

大学生だった1980年代後半は、バブル景気が始まり、イタ飯ブームも始まり、イタリア料理が好きになりました。

サッカーの取材で実際にイタリアへ行き、今日はバーリ、翌日はジェノヴァとか、南北を頻繁に移動すると、南北の味のちがいがわかるようになりました。

そのうち、トスカーナ料理にグンと惹かれるようになりました。田舎料理の素朴な味わいの中に、独特の香辛料の使い方があり、いい意味でクセがあり、奥深さを感じるようになりました。

フィレンツェの場末に行くと、小さなモツ煮込み屋に地元の人が行列しています。そんな風情も美しいと思い、トスカーナ料理が好印象です。

ヨーロッパを旅して思うことは、イタリアは、食事に関しては、例えばパスタやピザなど、食べ慣れた料理がどこにでもあるから、安心して旅行ができます。これが、スペインだと、南部に行くと揚げ物料理しかないこともあり、苦労しました。

ビスボッチャの店内で語る近藤篤さん

3.私とビスボッチャ

食べたことのないメニューが楽しみ

ビスボッチャには、1995年から来ています。

私の人生で、一番たくさん来たお店です。これほど多く来たお店は他にありません。

その理由は、まず味です。

ビスボッチャの料理の美味しさは、王道の美味しさだと思います。

例えば、創作料理のお店があるとします。意外性のレシピで、面白い味や、不思議な味の料理をつくる。それを食べると、口の中で3つの味が常に動いている感じがします。

でも、ビスボッチャの味は、口の中で3つの味が、まとまってひとつになっているのです。それが王道の味で、ビスボッチャのすごく偉大なところだと思います。

もっとわかりやすく言うと、ビスボッチャにはじめて連れて来た人は「あゝ、美味しかった」と言って、次に自分でビスボッチャに来ます。

ところが、創作料理の店にはじめて連れて来た人は「あゝ、美味しかった」と言うけれど、次に自分でその店に行くことはありません。

私はビスボッチャの定番メニューは、すべて何回も食べ尽くしてしまったので、近頃は、食べたことのないメニューを楽しみにしています。

来店すると、カメリエーレの方が注文を取るために、ワゴンに旬の食材を積んで、テーブルの前まで運んで来て、おすすめのメニューの説明を始めます。

この瞬間が、まるでお芝居でも観ているかのようにワクワク、ドキドキして、大好きです。この時、ビビッときたメニューを注文します。

パスタは、おすすめのパスタを絶対注文します。なぜかというと、外れたことがないから。たまに、バカ旨なパスタに出会う時もあります。

10月のフェアメニュー「ウサギとリコッタのアニョロッティ バターソース白トリュフかけ」

今日、食べさせていただいた10月のフェアメニューの「ウサギとリコッタのアニョロッティ バターソース白トリュフかけ」もすごく美味しかった。普段この種のパスタが食べられる機会はほとんどありません。このような機会に「有難い(ありがたい)」ことへの感謝を実感します。

お店の構えは変わらないけれど、意外と新しい味に挑戦しているところがすごい。人は2回味が外れると、違うお店を探そうとするけれども、それがブレないところが素晴らしい。

私は、いろんな種類の料理をたくさん食べたいタイプだから、前菜とパスタを何種類も注文してお腹がいっぱいになります。

懐石料理みたいな食べ方で、日本人っぽいのかなと思います。お肉は、よほどお腹が空いた時にしか到達できません。

定番メニューの中でも「花ズッキーニのモッツアレッラチーズ詰めフライ」だけは、初めて連れて来る人に絶対食べさせてあげたいから、私も一緒に注文します。

花ズッキーニのモッツアレッラチーズ詰めフライ

あとは、お店の雰囲気もビスボッチャの魅力のひとつです。

私がよく言うのは「虎の衣を着た狐」です。私は狐としてビスボッチャに来て、ビスボッチャの雰囲気をまとうことで虎になれるのです。そうすることで、一緒に連れて来た知人に対し、私の株が上がる。ビスボッチャの雰囲気からいろんなものをもらい、格好つけられるのです。

そうかといって、ドレスコードに厳しいわけでもなく、敷居は低く、リラックスできる雰囲気も気に入っています。

先日、仲間の結婚記念日を祝って、ビスボッチャの食事代を私が払いました。そういうことを誰かにしてあげたくなるお店です。これが日本料理の高級店だと、すごくいやらしくなる。ビスボッチャだと格好良く、スマートに済ませられるイメージがあります。

お客さまの層が幅広い点も気に入っています。業界人ばかりでなく、お年寄りばかりでもない。いろんな年齢や職業の人々がそれぞれのテーブルにいて、人生の縮図のようです。それぞれの会話は、高い天井の中で響き、混ざるから、聞こえるようで聞こえません。

その中で、若いカップルが背伸びをして来ている姿を見ることも好きです。初々しくて微笑ましい。何を注文していいかわからず、困っているけれど、そのリスクがあってこそ得られる喜びもあるはずです。そういう若い人たちも、お店の中で絵になっている。そんなお店、東京中探してもないです。

だから、仕事で知り合った人に「今度、ご飯でも行きましょう」と言って誘うお店は、ビスボッチャです。誘った人にすごく喜ばれる。「え?何これ、すごい空間!」みたいな。皆、唖然としています。

最初に案内されるバーカウンターの雰囲気も良い。だいたい、バーカウンターがあるレストランも珍しい。イタリア人も多く、異空間です。

今度また、近いうちに来ます。

ビスボッチャの厨房で料理長・井上裕基(右)から生パスタのつくり方を教わる近藤篤さん

料理長・井上裕基 談

いつも、ご利用いただき、誠にありがとうございます。

私は、中学、高校の部活でラグビーに熱中した時代があり、スポーツが大好きです。

近藤様が来店され、スポーツ談義をすることを、すごく楽しみにしております。

新しいメニューにも、常に挑戦していますので、ぜひ、ご賞味ください。もちろん、王道の味を外さないように、日々精進いたします。

 

取材日:2020年10月31日

監修/料理長 井上裕基 写真・文/ライター 織田城司