WALK AROUND LA BISBOCCIA Vol.13 “ Tokyo Tower ”
第13回 写真・コラム/ライター織田城司 Photo & Column by George Oda
今も輝く東京のシンボル
ビスボッチャの街をめぐる歴史散歩のコラム。今回は、港区にある東京のシンボル、東京タワーの魅力を探訪します。
東京タワーの地図
※記事は緊急事態宣言の前に撮影した写真をもとに編集しています
1.昭和レトロでいいのか
首都高速を運転して、芝公園のカーブを曲がる。
すると、ビルが途切れ、東京タワーが特大サイズで視界に飛び込んでくる。
紅白のタワーは、陽ざしにまぶしく映え、何度見ても感動がある。
そんなある日、東京の観光ガイドブックをパラパラとめくっていたら、驚いた。
東京タワーが「レトロな観光名所」というカテゴリーで、浅草花やしきと一緒に紹介されていたからである。
「それはないのでは?」と思った。
確かに、東京タワーは開業してから60年以上の歳月が経ち、世界一の高さを誇ったタイトルはとっくになくなり、東京観光の優先順位は低い。
しかし、花やしきと一緒に紹介するのは無理があるのではないか。花やしきに問題があるといっているのではない。レトロの質がちがうと思う。 東京タワーには、「昭和レトロ」だけでは表現できない、時空を超えた美を感じている。
ところが、よく考えたら、東京タワーに行ったのは子どもの頃、「昭和レトロ」ど真ん中の1960年代に、親に連れられて行ったきりだった。
そこで、今の東京タワーの魅力を探索するために、出かけて行った。
2.産業遺産としての威光
東京タワーの入口付近には、昨年建てられた新しいモニュメントがあった。
タイトルは「333mの記憶」。碑文によると、このモニュメントは、かつて東京タワーの頂上にあったアンテナとその支柱の一部でできている。
このアンテナは、1958年の設置時から、アナログ放送が終了する2011年まで、約52年間、1日も休むことなく、333mの高さから関東一円に放送電波を送り続け、その業績の遺産として展示してあるそうだ。
このモニュメント見て、東京タワー本来の姿は、電波塔だったと、改めて感じた。
今をさかのぼること1953(昭和28)年、日本ではじめてのテレビ放送がはじまった。昭和30年代に入ると、テレビの受信契約数は急増し、テレビ局の開局も相次いだ。
当時は、局ごとに自前の電波塔を備えていたが、局が増えるごとに新しい電波塔が乱立するのは、都市の美観から見ても好ましくない。そこで、郵政省や放送界から、東京地区の電波塔を一本化しようという機運が生まれた。
どうせつくるなら、当時世界一の高さだったパリのエッフェル塔をしのぐ高さを目標とした。
なおかつ、展望台をつくり、観光施設としても多く人々の目を楽しませ、塔自体も都市美をつくることが課題とされた。
関係者は、この事業を通して、戦後から復興した日本の技術を国内外に示そうとした。
こうして、東京タワーは、1958(昭和33)年12月23日に完成した。
電波塔としての役割を終えた東京タワーの今後は、日本の放送事業を支えた、産業遺産としての道もあると思った。
群馬県の「富岡製糸場」や、静岡県の「韮山反射炉」は、現役の設備ではないが、産業遺産として世界遺産に登録された。
東京タワーの世界遺産登録は、もっと年数を重ねる必要があると思うが、ある時代に、人々が技術を集め、新しい時代に挑戦しようとした痕跡の価値は、今でも十分に感じる。
このため、すぐ展望台に登らず、しばらく真下からタワーを見上げ、産業遺産の威光を感じ、気分を高めた。
3.高すぎない展望台から見渡す東京
いよいよ展望台に登る。外から見ると上の方に見える白い円盤のようなフロアは「トップデッキ」とよばれ、高さは250m。
フロアや窓は狭いが、見晴らしはよい。もっと高いビルや、飛行機の上から東京の街を見たこともあるが、ランドマークの見え方が小さすぎて、土地勘がトレースしにくい。
その点、「トップデッキ」は高すぎず、東京の地勢を俯瞰するには、程よい高さに感じた。
若いカップルが「ビルばかりだな…」とつぶやいていた。
カップルが見ていた窓は北側。埼玉県や茨城県の方角で、目立つランドマークはなく、ひたすらビルが続く。その一方で、広大な関東平野を実感する景色といえる。
タワー中ほどにある四角い展望台は「メインデッキ」とよばれ、高さは150m。天井が高く、フロアが広く、窓が大きくて、ゆったりしている。
この展望台の1階にあるカフェで、ホットドックを食べて休憩。カフェから眺めるフロアの人影はまばら。一人で来ている若い男性や女性が目についた。おひとりさまはベンチに座り、スマホをいじるわけでもなく、ぼんやりと窓から外を眺めている。
東京タワーから東京の街を見渡し、「自分は一体、東京で何をしているのか?」と自問自答しているように見えた。そんなマインドのリセット方法もあるのかもしれない。これが東京スカイツリーだと混雑して落ち着かないであろう。
4.鉄骨の迫力と職人芸の連続
「メインデッキ」から地上に降りるルートは、エレベーターを使わず、外階段を使った。
男は子どもの頃から、ミニカーやモデルガンなど、金属物を好む傾向にあり、外階段から間近に見るタワーの鉄骨の迫力に、思わず興奮する。オープンエアのスリルも迫力を増し、他では味わえない、ダイナミックなパノラマを楽しむ。
遠くから見る東京タワーの鉄骨は、間近で見ると巨大だ。それでも、台風の風をまともに受けないように、鉄骨はぎりぎりまで細くしたそうだ。さらに、ミリ単位で組み立てることで地震への強度を確保している。
大きな半球のリベットが無数に突起している表情もよい。職人が一個ずつ打ちつけた痕跡で、金属でありながら手づくり感がある。
鉄骨の接合は、まず鉄骨を組み合わせ、その穴に高温で熱したリベットを差し込み、反対側に出た軸を、熱いうちにハンマーで叩き、押し広げて固定する。
高温のリベットは、足場で鍛治職人が焼き、火箸でつかみ、上の接合部にいる職人に投げる。
接合部の職人は、下から飛んでくる、火の玉のように真っ赤になった高温のリベットを、金属の器でカランカランと音をたてながらキャッチ。冷めないうちに火箸でつかんで穴に入れ、接合する。
そんなリベットを間近で見ると、巨大な塔が、職人芸の連続で成り立っていることを感じ、ひたすら驚くばかりである。
塗装のペンキは、つるりとして、光沢があり、発色がよい。丸みのある凹凸に、メンテナンスの積み重ねを感じる。
首都高速から見た東京タワーが、陽ざしに映える背景に納得する。
外階段は、東京タワーの真下にある「フットタウン」という5階建てのビルの屋上で終点になる。そこから、ビルの設備を使って地上に出る。
かつて、このビルには、「昭和レトロ」の香り漂う、蝋人形館や水族館、土産物屋などがあったが、いずれも、2018〜2019年にかけての、展望台の改装に伴うリニューアルの前に撤退した。
あらゆる施設が大規模に刷新され、今どきのテーマパークや、ショッピングモールの雰囲気がある。
5.幻想的なライトアップ
東京タワーの夜間のライトアップは、2019年のリニューアルでパワーアップした。より明るく、多機能になり、季節や催事に応じた特別なライトアップもあり、表現力が高まった。
タワーの足元から見るライトアップは、鉄骨と照明の美しさが重なり、昼とちがう迫力がある。宇宙基地のように見え、幻想的なムードが漂い、見ていて飽きない。
東京タワーのライトアップをスマホで写し、インスタグラムに投稿する人を多く見るようになった。東京スカイツリーとは別の印象で輝き、夜空を彩る。
浅草花やしきには、「昭和レトロ」を残してもらいたいけれど、東京タワーには、今の東京のシンボルのひとつとして、進化しながら、偉業を語り継いでもらいたい。
それに、もはや東京タワーには、「昭和レトロ」に浸れる場所は残っていなかった。
散歩の後のお食事は、
「ラ・ビスボッチャ」でお楽しみください。