ビスボッチャ散歩:山種美術館

WALK AROUND LA BISBOCCIA  Vol.4 “ YAMATANE MUSEUM OF ART ”

第4回 写真・コラム/ライター織田城司  Photo & Column by George Oda

心うるおう色

ビスボッチャの街をめぐる歴史散歩のコラム。今回は「山種美術館」をたずね、日本画の色を探訪しました。

山種美術館の地図

山種美術館の概要

山種美術館 外観

山種美術館は、広尾の高台にある閑静な住宅地に佇んでいます。時折、向かいにある都立広尾高等学校の体育館から、学生の爽やかな歓声が聞こえてきます。

山種美術館は1966年(昭和41年)、山種証券(現:SMBC日興証券)を創業した山崎種二(1893〜1983)が集めた美術品をもとに、日本初の日本画専門美術館として、日本橋で開館しました。2009年より、現在の広尾の地に移転しました。

日本画はデリケートな画材を使うため常設展示はなく、年数回開催される企画展にて、収蔵品が順次公開されています。

館内と作品

1階ロビーから地下の展示室に至る階段脇の陶板壁画「千羽鶴」 加山又造作

2019年11月2日(土)〜12月22日(日)まで、広尾開館10周年記念特別展として『東山魁夷の青・奥田元宗の赤 〜 色で読み解く日本画  〜 』が開催されています。

絵画の色は、作品のイメージや画家の世界観を伝えるうえで、重要な役割を担っています。色を通して画家の創作を読み解くことで、暮らしの中で色を発見する楽しみへと誘います。

この特別展の報道内覧会で許諾を得て撮影した代表作をもとに、美術館の雰囲気をお伝えします。(通常の観覧では撮影不可)

【青】

日本では、古くから山や水といった自然のモティーフに青が用いられてきました。近代以降の日本画では、その伝統を引継ぎつつ、画家の思いを託したさまざまな青の表現が展開しています。

東山魁夷「年暮る」1968年(昭和43年)

高度成長で建物が高層化する1960年代。東山魁夷は知己の間柄であった川端康成から「京都は今描いといていただかないとなくなります。」といわれたのを機に「京洛四季」の連作に取り組みました。

そのひとつ「年暮る」は、京都ホテル(現・京都ホテルオークラ)屋上から町家の瓦屋根を見渡した構図で、大晦日の京都を詩情豊かに描いています。しんしんと雪が降り積もり、除夜の鐘が響き、去りゆく年を思う感慨を青の階調で表現しました。

川端龍子「黒潮」1932年(昭和7年)

川端龍子は、洋画を学ぶ一方で、雑誌の挿絵も手がけていました。大正2年に渡米。帰国後、日本画に転向しました。「会場芸術」を理念とし、大胆な筆致と躍動感あふれる大画面で異彩を放ちました。

「黒潮」は、日本画の絵の具で最も高額な群青を惜しげもなく使い、制作費という点でも大胆な作品です。

川端龍子「黒潮」(部分)1932年(昭和7年)

日本画の絵具を紹介する展示。色の顔料は、主に鉱物や貝殻など、希少な天然素材を粉砕してつくられる

【緑】

自然を多く描いてきた日本画にとって、緑は定番色でした。近代以降は、画材としての緑をどう活かすか、あるいは緑から離れてみるかが課題となりました。画家たちの挑戦を通じて、緑はさまざまな彩を帯びていくことになります。

佐藤太清「清韻」1947年(昭和22年)

佐藤太清は、古典的な伝統を踏まえながら、精緻な花鳥画と写実的な風景画を融合させた独自の「花鳥風景画」を確立しました。

終戦直後に制作された「清韻」は、緑色をメインにして、戦後の混乱期を忘れるような爽快感があります。

【赤】

赤は鮮烈で華やかな印象を与える色であるとともに、古代より、生命の象徴、魔除け、人々の精神性と結びついてきた色でもありました。赤が際立つ作品には、視覚的にも、内面的にも、見る者を惹きつける強い魅力が備わっています。

奥田元宋「奥入瀬(秋)」1983年(昭和58年)

奥田元宋は、古希を過ぎると大作に取り組むのは80歳までが限度と考え、1年に1点描くことを決意しました。最初に手がけたのが「奥入瀬(秋)」です。

奥田元宋は、四季折々の中でも「自然の霊気を最も強く感じる」として春と秋を好みました。青森県の奥入瀬(おいらせ)渓流についても「新緑や紅葉の時期を迎えると、体がうずうずしてくる」と述べています。微妙に異なる色調の赤い絵具が使い分けられており、「元宗の赤」を示す代表作です。

【黄】

江戸時代以前の絵画では、黄色はどちらかというと脇役の立場でした。近代以降の日本画でも、赤や青に比べると主役になる割合は少ないのですが、それだけに、前面に出たときの存在感は格別といえるでしょう。

望月春江「黄牡丹」1956年(昭和31年)

小林古径「三宝柑」1939年(昭和14年)

小林古径は、セザンヌなどの西洋絵画を積極的に学びました。日本画に洋画の材料や手法を用いることで、「厳しい鉄柵の鎖はとけて、境界はおぼろになる」との思いを根底に抱いていました。

「三宝柑」に描かれた果物の鮮やかな黄色、葉の緑色、ガラスの器に使われた薄紫色は、互いに存在を引き立てながら、個々の質感を巧みに表現しています。

川合玉堂「秋晴」1935年(昭和10年)

川合玉堂は、「秋晴」に見るような牧歌的な日本の風景を気負いのない筆致で描きました。画面の中央に配した黄色は、秋の季節感を表現する効果になっています。

【黒】

日本では長い間、水墨画をはじめとして、墨を主体とするモノクロームの絵画が重要な位置を占めてきました。近代以降の日本画では、着色画が主流になっていきましたが、水墨画の手法や、黒を活かす色彩感覚は、現在に至るまで受け継がれています。

奥村土牛「舞妓」1954年(昭和29年)

日本画では、京都の舞妓を描いた作品が多く残されています。

奥村土牛も舞妓の題材に取り組み、京都で舞妓を写生し、創作の資料にしました。この「舞妓」は、舞妓を描いた日本画の中でも、黒がメインの珍しい作品です。

【白】

白い色に対して私たちが抱くのは、清らかでけがれのないイメージでしょう。白い雪、白い動物など、白という色は、モティーフの印象を決定づける色だともいえます。

東山魁夷「白い嶺」1964年(昭和39年)

鮮やかな青を背景に、やわらかな雪に包まれた針葉樹の白色が配され、澄んだ空気を感じます。東山魁夷は「今夜は冴え渡る月の光の下で、舞踏会が開かれる。山の樹々は、思い思いの白い衣装を着けて集まって来る」という言葉を添えました。

制作の2年前に北欧の取材旅行に出た画家は、自らの心象風景と合致する題材や色彩をその地に見出しました。この頃から「魁夷の青」としての評価が高まっていきます。

千住博「松風荘襖絵習作」2006年(平成18年)

「松風荘襖絵習作」に対する千住博のことば。「とにかく滝が描きたくなったのです。それもあのリアリティをなんとか出したい。そう思って、とにかく上から下へ絵の具を流してみたのです。

するとそれは見たこともない迫力でした。まさにそこに滝が出現していたのです。何だ、このリアルな滝は…。そう私は思いました。画面の上の絵具の滝にひきつけられたのです。」

千住博「松風荘襖絵習作」(部分)2006年(平成18年)

ミュージアム・ショップとカフェ

◆ミュージアム・グッズ

山種美術館地下1階のミュージアム・ショップでは、鑑賞の記念になるグッズが販売されています。ショップのみのご利用も可能です。

山種美術館収蔵品をデザインしたオリジナルグッズ。竹内栖鳳の「鴨雛」と小林古径の「菓子」のモチーフをレイアウトしたマスキングテープ

冬におすすめのグッズ。年末・年始のあいさつに使える手ぬぐいとぽち袋。いずれも日本画のモチーフをレイアウト

冬季限定クラフトチョコレート。カカオ豆の仕入れから板チョコの製造まで一貫して行っている「CRAFT CHOCOLATES WORKS」の山種美術館オリジナルパッケージ商品。カカオ豆はコロンビア産のシエラネバダとトゥマコを使用

◆特製和菓子

山種美術館1階にある「Cafe椿」は、お茶とスイーツ、ランチが楽しめるカフェです。季節や開催中の展覧会にちなんだオリジナルメニューを用意しています。

特に和菓子は、青山の老舗菓匠「菊屋」に特注しているオリジナルです。

「東山魁夷の青・奥田元宋の赤 〜 色で読み解く日本画 〜」展に合わせた期間限定・特製和菓子5種

◆期間限定・特製和菓子

特別展「東山魁夷の青・奥田元宋の赤 〜色で読み解く日本画〜」の展示作品に合わせた特製和菓子5種

鶴の舞

奥村土牛「舞妓」をイメージ。舞妓の着物の袖に舞う金色の鶴を表現。中は風味豊かな胡麻入りこしあん。

冬けしき

森寛斎「雪中嵐山図」をイメージ。京都の川辺に降り積もった雪を粉糖で表現。中はこしあん。

除夜

東山魁夷「年暮る」をイメージ。しんしんと古都に降る雪と町家の屋根を、きんとんと錦玉羹で表現。中は上品な甘さの大島あん。

秋の色

奥田元宋「奥入瀬(秋)」をイメージ。秋の渓流と紅葉を表現。中は色鮮やかな柚子あん。

里の萩

小林古径「秌采」をイメージ。秋の情景から柿を表現。中はこしあん。

山種美術館 外観

日本画は、季節感や風物を繊細な筆致で描きます。その印象の大きな要素は色です。

山種美術館での日本画観賞を通して色に親しみ、暮らしの中に色の情緒を感じて癒されることで、心の潤いは、より豊かになるでしょう。

山種美術館 外観

カルパッチョの色

色は作家の名と結び付けられ、代名詞のように語られることがあります。

洋画では、フランスの画家、イヴ・クラインの青が有名です。クラインは自分が理想とする青の絵の具の顔料を開発し、「インターナショナル・クライン・ブルー」と名付けて特許を取得しました。

フランスのファッションデザイナー、クロード・モンタナは1990年代、服のコレクションにブルーを多用し、その作風は「モンタナ・ブルー」と呼ばれるようになりました。モンタナはイブ・クラインの影響を問われると、「私のブルーはクラインのブルーより少し赤みがかっている」と答え、独自性を主張しました。

中世イタリアの画家、ヴィットーレ・カルパッチョは、赤を基調にした作風が多く、「カルパッチョの赤」が語り継がれました。

ヴェネチアの老舗レストラン「ハリーズ・バー」は、生肉の薄切り料理を開発すると、料理の名は肉の赤身を「カルパッチョの赤」のイメージに重ね、「カルパッチョ」と命名したそうです。

ところが、「カルパッチョ」の料理名とともに、「生の薄切り」というレシピが広まり、白身魚のように、赤くない食材を使った料理も「カルパッチョ」と呼ばれるようになりました。

本来、画家に由来する料理名だった「カルパッチョ」は、いつの間にか食い気に押され、意味が変わってしまったことに、イタリアらしさを感じます。

ラ・ビスボッチャの「カジキマグロの燻製カルパッチョ」

散歩の後のお食事は、

「ラ・ビスボッチャ」でお楽しみください。

ラ・ビスボッチャ外観