ビスボッチャ散歩:広尾駅

WALK AROUND LA BISBOCCIA  Vol.10 “ Tokyo Metro Hibiya Line Hiroo Station ”

第10回 写真・コラム/ライター織田城司  Photo & Column by George Oda

大使館街の真ん中で

ビスボッチャの街をめぐる歴史散歩のコラム。今回は、ビスボッチャから最も近い1964年東京オリンピック遺産、「広尾駅」で歴史を紐解きます。

(※写真と記事は緊急事態宣言発令前に取材した内容で編集。)

広尾駅の地図

ビスボッチャの最寄り駅「広尾」

広尾駅2番出入口付近

広尾駅1番出入口付近

広尾駅4番出入口付近

ビスボッチャへアクセスする鉄道の最寄り駅は、東京メトロ日比谷線の「広尾」である。

グーグルマップで検索するとビスボッチャまでの距離は700mで徒歩9分と出る。ちなみに「恵比寿駅」からだと距離は1.km、徒歩15分と出る。

広尾駅1番出入口付近

広尾駅2番出入口付近

6月6日に開業した「虎ノ門ヒルズ駅」で注目される日比谷線が全線開通したのは、1964(昭和39)年8月29日。

それにともない、「広尾駅」が開業したのは、同年3月25日。

前回の東京オリンピックが開催された年である。駅の開業とオリンピックに何か因果があったのだろうか? 

しかし、「広尾駅」はシンプルな構造で、駅の歴史資料を展示するスペースは無い。

そこで、「地下鉄博物館」に行って日比谷線のことを調べることにした。

広尾駅の西麻布方面改札に向かう通路

広尾駅の天現寺橋方面改札

広尾駅の1番線ホーム

「地下鉄博物館」に見る日比谷線の概要

東京都江戸川区にある地下鉄博物館の入口

地下鉄博物館の日比谷線展示

地下鉄博物館の日比谷線展示

地下鉄博物館の歴史年表。地下鉄開業の歴史や社会の動きが紹介されている

歴史年表の日比谷線表示部分。昭和30年代は地下鉄の建設ラッシュだったことがわかる

日比谷線の記念乗車券

日比谷線が1964(昭和39)年に全線開通したことを記念する乗車券のアップ。「帝都高速度交通営団」の略称は「営団地下鉄」で2004(平成16)年にできた「東京メトロ」の前身。

「地下鉄博物館」では、各地下鉄の概要が書かれたコーナーがある。その中で日比谷線の解説の前文は以下のように記されている。 

「1961(昭和36)年3月、南千住〜中御徒町間で開業した日比谷線は、東京オリンピック開催に間に合うよう順次、建設が行われ、1964(昭和39)年8月、中目黒〜北千住間の全線が開通。」

日比谷線はやはり、1964年東京オリンピックに合わせて建設された路線だった。オリンピックの開幕が10月10日だから、8月29日の全線開通はギリギリ間に合ったことになる。

ビスボッチャに行くために日比谷線に乗り、「この路線もオリンピック遺産なのだ」と思うと、感慨が深まる。

広尾駅の天現寺橋方面改札

広尾駅の出口案内

「鉄道博物館」の日比谷線の解説文は以下のように続く。

「営団としては、初めて相互直通運転が行われ、東武伊勢崎線、東急東横線に合わせた架空電車線方式が採用されました。恵比寿、六本木といった超近代的な街や、電気街として知られる秋葉原、庶民的風情のある入谷など、個性的な街を結び、東京の東北、西南郊外地域から都心方向への利用者にとって便利な路線になっております。」

「広尾駅」の個性は書かれていないが、一言でいえば「大使館街」であろう。4ヶ所の出口案内はどこも大使館の名が多い。次に多いのは学校や病院である。

大きな商業施設やオフィスビルはほとんど無く、隣駅の「六本木駅」や「恵比寿駅」に比べると乗降客少なく、街と同じく、静かな駅である。

映画に見る「広尾駅」

日比谷線内の広尾駅の表示

「広尾駅」の静けさが映画のロケに使われたことがある。

松本清張原作のサスペンス映画『黒の奔流』(1972年作)である。

山崎努演じる悪徳弁護士は、自分の悪事を告発しようとする女性の行動を阻止するため、尾行をはじめる。

女性は朝、自宅のアパートを出ると日比谷線に乗るため、地下鉄の出入口の階段を降りる。この場面のロケは「恵比寿駅」の代官山方面出入口が使われた。

女性の行き先は「朝日新聞社東京本社」である。情報を提供しようとしているのであろう。

現在の「朝日新聞東京本社」は築地にあるが、ロケをした当時は有楽町にあったから、「日比谷駅」で下車した設定だ。

ところが、女性が電車を降りる場面のロケは「広尾駅」の2番線ホームで行われた。推測すると、「日比谷駅」は乗降客が多いため、「広尾駅」を代替地に選んだと思われる。

広尾駅1番線ホームから2番線ホームを望む

映画の原作になった松本清張の小説『種族同盟』を読むと日比谷線の描写はなく、映画独自の展開である。

1972年の映画に映る「広尾駅」のホームを見ると、当時も今もほとんど変わらないことがわかる。

住宅地にたたずむ

広尾駅2番出入口

ビスボッチャに行くために「広尾駅」で降りると人影はまばら。

「六本木駅」で降りたような、華やぐ高揚感はないが、マンションや学校が並ぶ住宅地を歩くと、隠れ家に向かうようなワクワク感がある。

夕暮れの「ラ・ビスボッチャ」外観

かつてミラノで、イタリア人デザイナーのオフィスで打ち合わせをした夜、近所のレストランに連れていってもらったことがある。

オフィスといっても、ヨーロッパでアパートメントと呼ばれるクラシックな集合住宅にある自宅兼アトリアだった。 

レストランまでは、アパートメントの間の暗い夜道を10分ほど歩いた。

ミラノの住宅地の夜道は暗い。人影はなく、一人で歩くのは危険だと感じた。

その思いをデザイナーに伝えると「日本の夜が明るすぎるのだ」と言われた。

目が慣れてくると、アパートメントの窓に、オレンジ色の灯がモザイクのように広がり、ぼんやりと輝いていることに気がついた。 

日本では見られない、どこか懐かしく、幻想的な雰囲気で、印象に残った。

すると、突然視界が開け、レストランの灯りが見えてきた。

店内はどこから人が湧いてきたのかと思うほど繁盛している。それまでの静けさが嘘のようだ。

路面電車が見えるテラス席に陣取ったデザイナーの好みは冷えた白ワインで、おすすめの魚料理を一緒に注文した。

軽めでスッキリした後味に、ミラノらしい洗練を感じた。

イタリアの人々は、観光名所のまわりにあるレストランにはほとんど行かず、地元の住宅地にひっそりとたたずむ「旨いもの屋」を愛用することを実感した。おそらく親の代から通っているのであろう。

ビスボッチャは、そんなイタリアのレストランの雰囲気を忠実に再現している。

それは、料理や内装だけではない。「住宅地にひっそりとたたずむ」という立地もイタリア的なのだ。

そんな立地に、静かな「広尾駅」がよく似合う。

広尾駅